Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

言葉とは概念そのもの

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荘子

おはようございます。
タクさんです。

左あり右あり、倫あり義あり、分あり弁あり、競あり争あり。

(左という言葉=概念に対しては右という対立概念が生まれる。こういった相対的な分類に基づいて「秩序」と「等級」が形成され、「差別」と「選択」を生むことになる。それは必然的に人間社会に「競争」と「紛争」をもたらした。)
荘子

 

いきなり、荘子という方の言葉の引用で失礼いたしました。

まーとにかく、言葉というものは概念を作り出し、概念は対立概念が生まれる。
っていうことを表現した言葉ですね。

言葉による概念は人と人との争いだけにとどまらず、自分の中でも対立概念を生み出します。
僕らの悩みのほとんどは、自分の思考の中にある対立概念によって生み出されておるんですねー。

さて、この荘子という方は、老子とともに老荘思想と呼ばれていたりもする中国の昔の偉いさんです。

胡蝶の夢というお話でも有名です。

胡蝶の夢とは、ざっくりいうと、蝶の夢を見ていた荘子さんが、夢からさめた。
はたして、これは、荘子が蝶の夢を見たのか?それとも、蝶が荘子さんの夢を見ているのか?

みたいなお話です。

うは!
一見ちょっとややこしい問答のように聞こえますが、実はとっても単純です。

ややこしくなるのは、どの概念を採用したら良いのか?と迷うからなんですよねー。

蝶々も夢なら、荘子も夢。どっちも夢なら、どっちも夢じゃない。
ってことなんです。

言葉に書くとややこしいんですが、
それは、言葉そのものが概念だからなんですよね。

 

概念は常に対立する

人と人がぶつかり合うのは、お互いの正義や事情がぶつかり合うからなんですが、この正義や事情も概念によって構成されております。

そして、概念には必ず対立概念があるわけです。

なぜなら、概念は比較対象によって作り出されるものだからなんです。

そして、僕らはこの概念の中に完璧さを求めちゃうから、ちょっとややこしいことになるんですねー。

そもそも、概念に価値の高い低いはありませんからね。正解も不正解もなく、
あらゆる概念はすべて不完全なんです。
だったらそんな概念を取っ払えばいいんですよね。
そうすると、そこに完璧さがあるわけです。

僕らは完璧さの中で概念を作り上げることによって、不完全を作り出していたんですねー。

言葉は概念そのもの

言葉は概念そのものです。
だから、概念を超えた真実は言葉では表現できません。
言葉で表現されるものはすべて、比較を伴った概念になってしまうからなんです。

僕らが発している言葉は、カラスの鳴き声と変わりありません。

僕らは鳴き声に意味をつけて、その意味を真実として扱っていだけなんですね。
もし、完全に中立な立場でその様子を観る者がいるとすれば、
言葉は単なる鳴き声であり、思考は夢そのもので、
思考や言葉で紡がれた出来事は、幻想そのものだということを見抜くことでしょう。

ふーん。そういう夢を見ているんだね。ってなもんです。

すべてをみている者は存在する

そして、この中立な立場で常にすべてをみている者ってね。
ちゃんと存在しているんです。
この存在こそが、真実の私です。
真実の私って、なんか仰々しい言い方ですが、そんな仰々しいものではありません。

単に、イメージの中で作られた「私」と区別しているだけです。

自我と真我と言っても良いかもしれませんがねー。
これも言葉で書いてしまうと、これまた概念が対立しちゃうので、嘘になっちゃうんです。

真我と自我もまた同じものなんです。
頭の中で紡がれる言葉を意味のないカラスの鳴き声のように聞いてみたなら、
あらゆる対立が崩れ去ります。
すると、そもそもあらゆる概念は、実際にはなかったことが明らかになります。

それどころか、「ある」も「ない」もなく、全てが在る。
なんにもない虚無は、全てが満ち足りた在ると同じだったことが明らかになるんですよね。

これが、概念からの目覚めなんです。

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