はーい。
おはようございます。
タクさんです。
昨日はクサらない。
ということについて書きました。
クサっていると身動きが取れなくなっちゃいますからねー。
そうなると出口のない暗闇に閉じ込められているような。
そんな気分を味わうことになります。
ですが、そこから抜けようとすればするほど、
蟻地獄のようにはまりこんじゃったりするわけなんですよね。
どうにかしようと考えちゃうこと。
それが実は、すでに掴み取っている大前提を認めていることになっちゃってるので、
考えれば考えるほど、キツく大前提を握りしめてしまう。
なんか、そんな感じになっちゃうので、抜けられなかったりするんです。
あ、この大前提のこと、許しちゃってもいいんだ!
と許しちゃう時に、初めて光明がみえてくるわけです。
とはいってもねー。
どうしてもジタバタしちゃうのが人間というものです。
だからね。
そういうことを聞いて、ジタバタする自分を責めないであげてくださいねー。
ジタバタしちゃう自分もまた、可愛がってあげてください。
可愛がってあげると、ジタバタをやめたりするもんです。
この辺のところ、僕らは赤ん坊の頃から変わってないのかもしれませんね。
どうしても思い通りにならないことに注目しちゃうのは、
生存本能のクセでもあります。
そんな本能を労ってあげることが、このクセにハマり込まないコツでもあるんです。
あとはね。
ジタバタする時間を決めちゃうというのもいいかもしれません。
ジタバタしたくなったなら、
よし、今日は3時から1時間くらいジタバタしよー!
と決めちゃうんです。
どうしても置いておくことができないなら、時間を区切って、その間だけ思う存分ジタバタするんです。
で、今日は頑張らなくてもいいよーということについて書いてみたいと思います。
この「頑張る」ということなんですけどねー。
ちょっと、誤解があったりしてね。
ほんとはすでに頑張ってるのに、
「頑張れないー。」
って思ってることが結構あるんですよねー。
例えば、なんだかうまくいかないし、もう頑張る気も起きないわぁ〜。
ってね。
思ってる時っていうのは、実は頑張ってるんですよね。
そして頑張りすぎてちょっと疲れちゃってるんです。
そんな時って、何かをやるのさえ頑張れない。
打席に立つことさえ頑張れない。
というような感じがしてしまったりするんですけどね〜。
この場合はね。
頑張れないというよりは、既に別のことで頑張っている。
頑張りすぎていて疲れているんです。
でね。
その頑張りがジタバタに使われているんですねー。
ジタバタだとどこにも進めないわけで、
この進めないということが焦りを生んで余計にジタバタしちゃう。
もしくはジタバタで疲れちゃってダラーンとなってる。
というパターンですね。
こういう場合は、まずはジタバタの頑張りをやめてみるということが先決なんです。
このことについては、昨日の記事に書きました。
でね。
今できることや、面白そうなことに目を向けられるようになってきたなら、
打席に立ってみたら良いんです。
打席に立たないことにはなんにも始まりませんのでねー。
でね。
この「頑張らなくてもいいよ〜」というのはね。
打席に立つ時に頑張って結果を出そうとしなくても良い。
といったニュアンスなんですよね。
なんていうか、結果が出なきゃ無駄じゃ~ん。
って思ったりするかもしれませんが、
頑張ることといい結果って
あまり結びつかんのです。
また、頑張らなくていいというのを
打席に立たないで良い。
というふうに捉えたくなったりしますが、
これは、単に変化への恐怖が出てるだけでしてね。
打席に立つことって頑張りとはあまり関係がないんです。
打席に立つのに頑張りが必要な場合っていうのは、
その奥にある「〜べき」という考えがあって、そのべきに沿うにはどうすればいいか?
という形になっていて、そもそもやってみたいこと、やりたいこと始点じゃないんです。
だったら、そこは置いておいて、やりたいこと始点に戻してやれば良いんです。
やりたいこと始点になっていると、打席に立つことに頑張りは必要なくなります。
でも、立つからにはこうすべきだし、ああすべきだ、、、、
といろいろとここでも思考が出てきたりしちゃうんですよね。
それについては、そんなん頑張らなくても良いんです。
オモシロさを注目する感じで良いんですよね〜。
頑張らなきゃならないと思うところはもうお任せしちゃって、
オモロイところをあなたは担当すればいいってことです。
うまくいくのか?いかないのか?といったような枠に
オモロさを閉じ込めなくても良いんですよねん。
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