Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

理由って必要??

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はい。
おはようございます!
タクさんです。

多分なんですけどね。
地球上で、人間だけがこだわっているものの一つにね。
理由というものがあると思うんですよ。

うちのネコを見てると、あまり理由という概念は採用してないように思うんですよねー。
他の動物にしてもね。

うちのネコについては、机の上にあるものを、
ヒョイっと落とす。
落ちる。
終わり。

わしが文句を言いながら、元に戻す。
ヒョイと落とす。
終わり。

くらいなもんで、
ヒョイと机からどかしたら落ちよる。
くらいまでしかこだわってないように感じます。

人は、落ちるということに対しては、
数千年前から色々と研究を重ねてきて、
今の時点では、万有引力の法則がいかにも理由らしいということになりつつありますが、
実はこの引力の正体については、まだよくわかっていません。

相対性理論は引力、重力をさらに発展させた理論ですが、
もしかしたら、そもそもこの引力という考え方は違うかもしれんぞ。
という意見もあるくらいなんですよねー。

ま、そういうわけでして、
僕ら人間は、ネコに比べて色々と理由を知っているぞ!
と思い込んでたりしますが、これらは単に教科書に書いてあっただけのこと。
だったりもするわけなんですよねー。

実はこの理由こそがありもしないイメージ上の概念でしかなく、理由探しというのは単なるイメージ遊び。つまりは、想像遊びに過ぎななくて、

僕らが悩んだり、迷ったりするのもこれまた「理由」という概念を盲目的に信じ過ぎているからなのかもしれないぞい!

というわけなんです。

 

僕らの思考の仕組みは、
物事を分離させて掴み取るという仕組みで働いています。

なのでイメージ上で分離させないことには何もつかみとれません。
実は目の前のものを思考ではつかみとれないんです。

目の前のものを分離して加工することによってやっと掴み取れるんですよねー。

なので、やはり多少の限界があるんです。
僕らの科学は恐ろしい速さで進歩しているように見えますが、
その進歩は、物事を分離して理解するという能力を土台としていますので、
その分野の中だけでしか進歩していないということでもあるんですよねー。

ただし、思考の仕組みでは物事を分離して理解するという働きしかありませんので、
それ以外の世界というのは理解ができないんです。

ネジ穴に釘を打ち込んでも無駄だというのと似ていて、
ネジ穴にはネジしか受け入れられないということなんです。

でね。
思考はどうしても理解を必要としますので、分離の条件探しに勤しむわけです。
この条件に必要なのが理由だというわけですねー。

本来の真実は未知です。

未知とは、元々の世界は思考の理解に依存していないということです。

僕らが理解を示す以前からあらゆる世界は在るわけです。
その在る世界にぼくらが勝手な理由を持ち込み、そして条件を作り、
この条件によって分離させて理解をしているつもりになっているというわけなんですよねー。

この理解しているつもり。というのが、思い込みだというわけです。

そして、僕らはこの思い込みによって作られた世界によって
悩み、迷うわけです。

この理由というのが実は一切なかったのだとすれば、
僕らの悩みや迷いも消え失せます。

それこそが、理由からの目覚めなのです。

理由からの目覚めとは思い込みからの目覚めであり、分離からの目覚めであり、
そして作られた条件からの目覚めでもあるんですね。

僕らがいかに、そもそもない理由にこだわっていたのか?
ここを確かめていくことは、理由という概念からの目覚めに役立つんです。

ま、役立たなければならないというのもまた、理由の一つなのでややこしいんですけどね。

いかに僕らが理由にこだわっていたのか?
ここが知られれば知られるほど、僕らは理由と条件がおりなす夢から
目覚めていくわけです。

 

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