Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

分離感の鎖が解ける時

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はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

しかしまー、あれですわ。
ぼくらのツライ思い。
人はこれがあるから、幸せを求めるわけですよね。

人生の目的とは、幸せになることである。

ここは共通したことなのかもしれませんね。

日本国憲法にも、幸福を追求する権利というものが定められております。
これが阻害されちゃうと、生きる希望を見失ってしまいますからねー。

ただ、幸せを目的にしちゃうことで、ある種の不幸を掴んでしまう。
ここがどうにも、やるせないジレンマでもありますね。

ただ、救いなのは、幸せは常に今ここにある。ということでもあるんですねー。

さて、僕らの不幸のほとんどは葛藤からやってきています。

この葛藤は分離感によって引き起こされます。
そして、この分離感と葛藤によって、僕らは足りない自分を演出してしまうわけです。

そして、足りない自分をどうすれば埋められるのか?
と探求が始まるわけなんです。

ですがね。足りない自分をどうすれば埋められるのか?
このスタート地点の考え方が、既にボタンのかけ違いをしてしまっているんですよね。

なぜなら、
足りない自分なんて存在していないからです。

なので、どうすれば埋められるのか?を元に探求をしてしまうと、
足りない自分の確認になってしまって、なかなかうまくいかなかったりするんですよね。

もちろん、個別のケースを当てはめると、うまくいくこともあります。
うまくいったその瞬間は元々根っこの方で掴み取っていた分離感も活動を弱めてくれますから、いい感じになるんですが、やっぱり何かのきっかけで、根っこにあった分離感がムクムクっと出てくると、途端に分離感の虜になってしまったりするわけです。

するとまた、それを埋めることでなんとかしようとするわけです。
でも、これってキリがないですからねー。

いずれは、埋められない壁にぶち当たってしまったりもするわけですね。

 

分離感が色濃くなる時

この分離感が色濃くなる時、僕らは葛藤に苦しむわけです。
この分離感はまさに錯覚です。
自分とその他という原初の分離から始まっている錯覚なんですが、
この分離感は、考え方を変えることでなんとかできるものじゃないんですね。

僕らはついつい、思考法を学ぶことによって克服しようとしてしまいがちなんですが、
これが通用するのは、ルールが存在するゲームの攻略にしか適用できません。

ルールがあるものについては、そのルールを解明することによってある程度なんとかなります。
仕事や、お金や健康や人付き合いにも、一定のルールがありますからね。
それを解明して攻略すれば、ある程度はなんとかなったりします。

ですが、分離感については、思考法は役に立ちません。
なぜなら、思考こそが、分離そのものだからです。

何かを分離せずには思考は成り立ちませんからねー。

だから、分離感を埋めるために、思考を凝らしたとしても無駄なんですよね。

思考で作られた世界

僕らは思考で作られた世界を事実と認定しています。
ですから、より深く世界を知るには、より正確な思考法を学ぼうとするんです。
だから、どうすればいいの?って思っちゃうんですけどねー。

どうすればいいの?というのは、どう考えればいいの?ということを探しているということです。

とはいえね。
じゃあ、何もできないの?それじゃぁ、ずっとツライままじゃん!
ってなっちゃいますもんねー。

だからね。
こういう時は、観察をしてみればいいんです。
ツライというのは、何かしらの分離感を持っているということになります。
分離と思考はおなじですので、
分離感を持っているということは、何かしらの思考法を採用しているということになりますね。

それを知ることが先決なんです。

なんで僕の手はクサイの???
それは、ウンコをもっているからだよ!

ってな感じでね。
まずは、何を掴み取っておるのか?
これを観察すればいいんですよね。

どうすればいいの?よりは、
ワシは今、何をしているの?
ということを知るんです。

観察するだけでいいんです。

でね。
うんこを持っているのなら、それを手放さなければならない!
って思っちゃいがちなんですけどね。

これもまた、思考法と分離の世界観の考え方なんですよね。
なので、そうしようとするとまた思考と分離の世界に引き戻されてしまいます。

原因があるならその原因を取り除けばいい!というのは、分離の世界観の中だけのルールなんです。

実際には、原因もなければ結果もありません。

うんこを持っているからクサイ。ということがわかったなら、
それって、本当に持っているの?ということを観察してみるんです。

実際には何も持っていません。
持っているつもりになっているだけなんですよね。

この辺りが観察されてくると、
え!実際には何もないじゃん!という事実が目覚めてくるかもしれません。

そうすると、徐々に分離感でがんじがらめにされていた鎖が解け始めてくるんです。

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