Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

正義と悪という幻想に僕らはハマりやすいんです

はじめに

はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

なんか政治の話はぶつかるから避けた方が良い!
なんて言われたりしますよねー。

ただし、顔が見えなければオッケー!みたいなところもあって、
ネット上ではやたらとぶつかり合いがあったりして、選挙が近くなると変な噂も流れたりしますよね。

昔は、妙な怪文書が電信柱や暗がりの壁に貼られたりしたもんで、
いかにも怪しさ満点の怪文書だからあまり相手にされなかったのかもしれませんが、今はネットでいかにもこの人は悪人だ!みたいな怪文書も妙に真実味を帯びた表現で回ったりしますので、厄介ではありますね。

僕らは、ストーリーにハマりやすいわけですが、特に善悪の話はハマりやすい一つだと思います。

子供の頃から正義と悪のヒーローものにハマりまくってましたもんねー。
ニュースでも悪いことをした人のニュースが蔓延ってますし、これもみんなが注目しちゃうから余計にそういう情報が回りやすいんだと思います。

ですが、そもそも完全な善人も完全な悪人もいないわけでして、
究極的には善悪自体が概念に過ぎないわけなんですけどね。

ただ、どうしても僕らはこの善悪にハマりやすい傾向があるんです。

とくに政治やイデオロギーと善悪が絡んできますと、
私が支持している政党やイデオロギーこそが正義で、対立政党や対立する考え方は悪そのものである!
対立政党や対立する考え方を支持する人は無知なんだ!教育してやらなければならない!

みたいな思い込みにハマっちゃうと、結構人は攻撃的に変貌してしまうものです。

正義の名の下に鉄槌を下す!
なんて、よく考えたら無茶苦茶ですからねぇ。

自分の考えに沿わないものは踏み潰す!みたいなことでしょう?
それを正義に変えちゃうと人はバグってしまうのかもしれませんね。

ネコがマタタビにくるっちゃうのと似たような麻薬的な働きがあるのかもしれませんね。

陰謀論というのも、やっぱり正義と悪の構図が作り上げられたりしますもんね。
あまりそういうのにハマると、落ち着かなくなっちゃいますので、ひとまず落ち着いた方がいいんじゃないかなー?って思います。

正義と悪という幻想

別にこれは法を犯しても良い!とか言ってるわけではありません。
ただ、そもそも存在しない正義と悪に分けてしまうと、
それは、正義も悪もコインの表裏のように、結局同じ穴のムジナということになります。

見方によって、どっちも一緒ってことになりかねませんのでね。
自分の心に沸々と正義と悪が沸き起こってきたなら、一旦お茶でも飲んで落ち着いてみたらいいと思います。

瞬く間に思考の中毒にハマっちゃいますからねー。

こんなの、
「へぇー。あなたはそう思ってるんだね。私の考えは違うけど。」
ってことで、そこに優劣なんてないんです。

これは面白がることであって、いがみ合うことじゃありませんからね。

おそらくですが、正義と悪の概念って人間だけが持ってる幻想なんだと思います。

その幻想がもとで、良いと悪いの判断が無数にできてしまって、
「自分はダメだ!」と思っちゃうとツラくなったりするわけですが、
「私こそが正義だ!」という幻想はそれよりもタチがわるいのかもしれませんねー。

あなたはあなたのまんまで良いわけですが、何かしらの悪と対立して私の正義を成り立たせようとしているのなら、それは私はダメだ!私は悪だ!と一緒になっちゃいますからね。

ただ、自分がダメだったら良くなろうという働きも起こりますが、私が正義だ!となると他者を攻撃するしかなくなりますからねぇ。それはそれでツラいですよね。

ですので、自分の中に何かしらの正義感が妙な怒りとなってフツフツと湧いてきたなら、
ものすごーく思考にハマってることになりますので、ちょっと落ち着いてみることをオススメします。

好き嫌いは良いんですよ。
でも、ニンジンが嫌いだからといっても、ニンジンは悪ではありませんもんね。
スッとお箸で端の方によければいいだけです。

 

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