Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

数字はただの概念である

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
子供の頃は、お化けだけは絶対に見たくないなぁ。
と願っておりましたタクさんです。

皆さんはお化けのことはお好きでしょうか?

まーほら、僕らの目の機能というのは、光を受け取ってそれを脳内でイメージに変換しているわけです。
ちなみに、光は目のレンズを通していますのでレンズの特性上、実際には上下左右が反転して見えているはずなんです。

でも僕らって、目の前の風景は反転して見えないじゃないですか。
これは脳内で再度反転させて調整しているからなんですねー。

つまり、僕らが見ているイメージというのはあらかじめ脳内で加工されたイメージなんです。

ちなみに、反転だけではなくありとあらゆる加工が脳内ではなされているんです。

だから僕らが何かを見た時は、すでにいろんな加工がされたイメージを気づかずに見ているということになるんですよねー。

お化けというものも、光を反射するものではありませんよね?
もし反射するものだとするのなら何かしらの物質ということになりますので、どんな組成で構成されているのか?もわかるはずですからねぇ。

ですが、実際にないものが見えてしまうというのもやはり脳内で何かしらの加工がされているからなんだろうなー。と思います。

 

・ゲームは楽しむものであって無理をするものじゃないよね

ま、そんな感じで僕らは目で見たもの以外のものも、色々と脳内で加工をして加工されたものを並べ立てストーリーを展開しております。

そして、それを真実であると錯覚しているというわけなんです。

別に、脳が何をどう加工したとしてもそれが問題だというわけじゃなくて、加工したものを見ているんだということを忘れちゃっているということなんですねー。

これは、ある意味、自分は何をしとるんだ?ということを忘れてるよー。ということでもあるんです。

例えばね。
ゲームをしていたとするじゃないですか。
そんなゲームの中でなかなかスコアが伸びないと悩んでいたとして、なんとかスコアの伸ばし方を模索しつついろんな方法を探し求める。
というのは、これもまたゲームの楽しみ方の一つですので問題はないと思うんですね。

ただ、これがスコアが伸びないのは自分の頑張りが足りない。
まさしく、自分に価値がない。と思い込むのってちょっとやりすぎですよねぇ?

また、誰かが頑張っているんだから自分もこのゲームで頑張らなきゃならない!
ってね。
そんなふうに自分を追い込むのも、ゲームを楽しむためならまあ良いかもしれませんが、
楽しくもないのにそうやって追い込むのって、ちょっと変な気もします。

・数字はただの概念である

ですがぼくらって、そんな変なことをしているかもしれないんです。
僕らはけっこう数字というものにだまされているんじゃないかなー?って思うんです。

数字って実際には存在しないものですよね。ただの概念です。
ですがその概念がまるで実在するかのように感じちゃったりしてねー。
そして、しなくてもいい比較をして、自分を価値のないものと判断したりして苦しんじゃったりしてるんです。

ないんですよ。数字なんて。

また、誰かが頑張ってるからってあなたも頑張らなきゃいけないわけでもありません。

そもそも僕らの人生の目的って、今を生きること。それだけですからね。
それ以上の目的なんて存在していません。
ゲームはあくまでもおまけに過ぎないんです。

僕らは、何か身のある人生にしなければならないという幻想に洗脳されてしまっているのかもしれませんね。

年収の額、貯金の額、持ってるものの数、フォロアーの数、学歴だの地位だの、、、。
そういった概念で遊ぶのはいいとしてもこの遊びで苦しむ必要性なんて一切ないんです。

今を生きている。これだけですでに完結しているんです。成功者なんです。

頑張りというものも、それがオモロイからこそであって、面白くないものを頑張るのってそもそも無理がありますからねー。

だから、誰かが頑張ってる!と不安になる必要もなく、へえーそれを楽しんでるんだー!くらいに思ってたらいいんですよね。

そして、あなたに何かオモロイことが訪れたなら、それを十分に味わって遊べばいいんです。
それがもしかしたら頑張ってるように周りから見られるかもしれませんけどねー。

頑張りって無理することじゃなくて味わって遊ぶものなんですよね。

 

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