
はじめに
はーいどうもー!
「今」しかないよー!
「今」よ!「今」!!!
ってねー。
なんだか「今」を連呼しているタクさんです。
でね。
「今」しかないということは、これ、過去や未来なんてないよ!ということでもあるんです。
うそーん!あるやん!過去や未来!って思うかもしれませんけどねー。
そうやって、過去や未来を想像している時だって「今」ですもんね。
また、過去と未来って一緒なんですよ。
記憶を参照すれば過去。その記憶から類推すれば未来ってだけでしてね。
結局やってることは、今、過去を記憶から引っ張り上げているってことなんです。
だから、それも「今」なんですよねー。
ただ、この「今」は捕まえることもできませんし捉えられません。
捉えられないから、「今しかない」がちょっとよくわからんことになっているのかもしれませんね。
というわけで、今日はこの「今」をなぜ捉えられないのか?について書いてみたいと思います。
・因果からの解脱
そもそも思考ちゃんっていうのは、あらゆる物事をストーリー仕立てに変換することによって捉えるという機能を持っています。
そのために、あらゆるものを分割して、各々の関係性を作り出し、それがどのように変化したか?
みたいな捉え方をするんですよね。
つまり、あらゆるものを分類して、その分類したパーツで登場キャラや設定を作り出し、原因と結果というストーリーを作り、その中心に主役という「自分」みたいな概念を置く。
といった形です。
だから、思考で捉えられる世界は、
「あれがこうなって、これがこうなったから、こんなことになった。」
といったような感じで、原因と結果で作り上げられるんです。
これがつまるところ「因果」というわけですね。
つまり、因果というのは思考の中で作られるものなんです。
因果からの解脱というのは言い換えると、思考の夢からの目覚めということでもあるんです。
・時間という概念
でね。
この因果を作る時に必要になるのが「時間」という概念です。
「あれが、こうなった!」
というストーリーを作り上げるためには、「あれ」と「こう」の間があるじゃないですか。
この間を時間という概念で埋めるわけなんですよねー。
時間というのは、思考の中で作られた世界観を成り立たせるために必要不可欠な概念なんです。
ですので、時間というのは、思考のストーリーを作り上げている時だけ、あたかも存在しているようにみえているものなんです。
僕らは物を測る時に、「センチ」や「メートル」を使うじゃないですか。
でも「センチ」や「メートル」って存在はしてませんよね?
そもそもモノじゃありませんからねぇ。
時間というのもこういった感じのものなんです。
思考ちゃんはこの時間の概念を使わないとストーリーを作れないんです。
・おっちょこちょいな思考ちゃん
そもそも、なぜこんなストーリー仕立てにしなきゃいけないのか?と言いますと、
思考ちゃんは動きを動きのまま理解することができないからなんですよねー。
だから、動きを理解するために、その前後で区切って、「これが、こうなった」という形に変換するわけです。
この形をここではストーリーだと呼んでいるんです。
この世の実装としては、常なる動きです。
あらゆる物事は常に移り変わっているんです。
そこに区切りは存在していません。
思考ちゃんは、この「移り変わり」を「移り変わり」のままで捉えることができないんですよね。
これを捉えるのに、どうしても区切らなきゃいけないので、その過程で時間の概念が必要になるというわけなんです。
そして、その時間の概念を使ったまま「今」を捉えようとすると、その「今」を止まったものとして掴もうとしちゃうんです。
だから、止まった瞬間の「今」を今だ!と言って捕まえたとしても、捕まえた途端それは過去になってしまうっていうね。
そういうジレンマがあるというわけです。
これも思考ちゃんの錯覚でしてね。
事実はアニメーションのコマ割りのように一瞬の積み重ねで起こってるわけじゃないんです。
シンプルにただ移り変わっているだけです。
それをコマ割りの1ページが「今」だと錯覚しているから捉えられないって感じなんですよねー。
捉えるというのは、思考ちゃんの形に変換するということですのでね。
本当に「今」を捉えたいなら、捉えようとせず、ただただ在ってみたら良いってことになるんです。
というわけでしてね。ちょいとお茶でものんで、ゆったりと今に佇んでみましょう。
そこに在るのがいわゆる真実なんです。
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