Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考の錯覚からの解放

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はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさん。
お化けは見たことがありますか?

僕はねー。
高校生くらいの時かなー。
その日はものすごーく疲れておりましてね。
まだ夕方だったのにバターンッって感じでベッドで寝ておったんですよ。

そしてね。
夜中くらいにね。
ちょっとだけ目が覚めたんですね。

その時、微かに光る窓辺にふと目をやると、
もう完全に人のシルエットが見えてるんですよ!

顔は見えなかったんですけどねー。
確実に人型の影が窓に写っておったんですよね!

その時、
「あちゃー!とうとうワシも見てしまったか!」
って思ったんですが、
あまりに眠かったんで、また寝ちゃったんですよね。

そして、朝、目が覚めたときに、そういえば!と思って、
夜中に見た窓辺をもう一回見てみたところ、

思いっきり、僕がみた影の形のまんま、シャツが窓辺にかかっておりました。

夜中に見たシャツは、完全にお化けだったんですが、朝に見たシャツは完全にシャツだったんですよね。

 

現実とは錯覚である

さてさて、
ま、この話は単なる見間違いじゃーん!って言われればその通りなんですが、
夜中に見たシャツの影は、シャツなのに、お化けだー!って、思い込んでおったわけです。
そしてね。
思ってること。
これってもう現実なんですよね。その時は。

思いっていうのは、どんな解釈でも使うことができちゃいますからねー。
その解釈がもう現実になっちゃうんです。
それほど、僕らの現実というものは、あやふやなもんなんですよね。

私という観念もまた錯覚のひとつ

さて、本当はシャツなのに、お化けと勘違いをする。
これって、間抜けだなー!って思いますよね。

でね。
これと同じような勘違い。
それが、私とその他がいるという勘違いなんです。

つまり、私とその私にとっての対象物があるという思いです。
この思いを土台に思いはストーリーを紡ぐ訳でして、
それはまさに、分離の概念なんですねー。

この分離の概念こそ、まるでシャツをお化けと勘違いするのと、
似たレベルの勘違いなんですよねー。

錯覚を確かめる

夜中に見たお化けは、翌朝、ちゃんと確かめられることによって、
あ、お化けじゃないんだ。
ということで、錯覚を信じることはなかったわけですが、
もし、ちゃんと確かめなかったなら、ずっとシャツをお化けだと思い込んでいたかもしれません。

ですが僕らは、分離の概念については改めて確かめるということって、
まー、してこなかったわけですねー。疑う余地すらなかったんです。

確かめておりませんから、ずっと、お化けだと思い込むかのような勘違いをし続けているんです。
そして、もうどう確かめたらいいのか?さえもよくわからなくなっちゃっているんですよねー。

分離の概念に則った考え方で確かめようとすると、何が正しく何が間違いなのか?
といった方法になってしまいます。

実はこの確かめ方さえも、錯覚によるものなんですよねー。
だから、確かめようとすればするほど、逆に錯覚にハマってしまうことにもなっちゃうんです。

では、どうやって確かめるのか?
って話になるんですが、それはもう、ただ観るだけ。
それだけなんです。
それ以上の詮索をせずにただ観るだけなんです。

すると、正しいでも間違いでもない中庸が目覚めてきてくれるんですよねー。

 

takuteto.hatenablog.com

 

 

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