Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【許しの話】許せないを許せるに変えなくてもいいんだよ〜

はじめに

よっ!
おはようございます。
タクさんです。

どーもよろしくお願いします。

ま〜僕はここでも、
どんな思いが起きたって、それで良いんですよ。
だから許してあげたら良いんです。

ってなことを言っているわけなんですけどね。

この許してあげるっていうニュアンスについて今日は書いてみたいと思います。

結構ね~。
「まだ、いまの私では、許してあげるっていう段階ではないのかもしれない。」
と言ったようなことをおっしゃる方もおられるんですよね。

これ、段階とか関係なくて、
もうすでに許してますし、許されているわけなんです。
だからこそ、そういう思いがおきているわけですからね〜。

ちょっとね、ココはややこしいのかもしれませんが、
許せないという思いが湧いてきているから、まだ許せてない。
ということじゃないんです。

許せないという思いが湧いてくることも含めて許してあげたら良いわけでして、
もう湧いてしまってますのでね。
実はこの時点で許すも許さないも無いんです。

これはねぇ。
許せない思いを、許せる思いに変える。
ということでは無いんです。

この辺、ちょっとややこしいですよね。

 

許すとはそう在ることを認めること

許すってね。
いろんなニュアンスがあると思うんですが、
一つは、そうすることに対して不都合がないので認める。
といったニュアンスと、
もう一つは、
要求を聞き入れる。
といったニュアンスがあると思うんですね。

そして、ここで言っている「許す」のニュアンスは、
そうすることに対して認める。
というニュアンスの方なんです。
なので、要求を聞き入れるということじゃないんですね。

要求してることはしてることとして認めてあげる。
以上、それで終わり!ということなんです。

許せないを許せるに変えなくてもいいんだよ〜

なので、腹が立つことがなくなるとか、怒りや恐怖がなくなるとか、
悲しいことが起こらなくなる。
ということじゃないんですね。

逆に悲しみなんてまさに愛の表現そのものですからね。
余計に悲しみに敏感になる!まであります。

苛立ちも腹立ちも、怒りや恐怖も、悲しみも、
ちゃんと起こるべくして起こっておりますのでね。
それはそれで、あっていいじゃないか!
ということなんです。

この感情に対して、思考はあれこれと解釈を加えてストーリー仕立てにするんですけどね。
それもそれで良いんです。

思考もまた、私ではありませんからね。
起こるべくして起こっているだけなんです。

だから、思考から許せないを取り除くということじゃなくて、
思考も感情も起こるなら起こらせておいてあげる。
ということなんです。

行き着くところは「どうでも良い」

でもねー。
思考も感情も起こらせるままにしてたら、
大暴走してエライことになるんじゃないのか?

って思ったりするじゃないですか。

これもね。
思ってるということなので、思考でありただのイメージなんですけどね。

ここはむしろ逆なんです。

起こらせるままにするのはダメだ!

という思いが、余計に思考や感情に巻き込まれる要因となっているんです。

思考や感情に巻き込まれるのは、
これではダメだ!といった思いに代表される、
「許せない」という思いを真に受けた時に巻き込まれるんです。

思考や感情は色々な形で起こっては消えていきます。
それを「そのまんま」にしておいてあげことで、ちゃんと起こっては消えていってくれるんですね〜。
そして、要求については、ちゃんとなるようになるんです。
それは必ず聞き入れられるということではなく、聞き入れられるか、どうでも良くなるかのどっちかに落ち着くんです。

結局のところ、要求がかなった時点で僕らはそのことに関してはどうでも良くなるので、行き着くところは「どうでも良い」になるんです。

どうでも良いは、もう全て良し!ということですのでね。
そこに佇んで、その良さを味わえば良いんです。

 

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