Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

分離とは、自身に盲目になっている太陽のようなものである

f:id:takuteto:20220227223114j:plain

はじめに

ファーハッハッハ!
ワシはもう確定申告書類を作り上げたぞっ!
期限より7日も前なのに作り上げたぞっ!
ファーッハッハッハッハ!!!

はい。
というわけでおはようございます。
タクさんです。

ホント、確定申告ってダルいですよね。
僕は今はそんなにややこしくないので、
ま、楽勝っちゃ楽勝なんですが、
フリーランスをガッツリやってたときは、ちょっとキレそうになっていたのを思い出します。

だってね。
めんどくさいのに、全然売上にならないんですもん。

しかもね。
なんか、国が税金をとりっぱぐれないように、
いろんな制度があるもんですから、
それがなんかよけいにややこしくしている気がするんですよね〜。

もうマイナンバーもできたんだから、銀行口座と紐付けて半分自動化。
なんて感じに出来ないもんでしょうか?

 

自分の輝きが見えない太陽

太陽はね。
自分の輝きがみえません。
ですが、自分の周りには輝くものばかりが目に付きます。

その輝きは実は自分の輝きの反射なわけですが、
太陽から見たら、自分以外のあらゆるものが輝いているようにみえるわけです。

ってねー。
太陽になったこともないのに言ってみましたが、
ま、僕らが持つ分離感ってのも、これと似たようなものだと思うんですよ。

そもそもね。
分離感というものは、比較の概念によって出来上がっているわけです。

そして、僕らの思考は比較の概念なしには機能しませんのでね。

あらゆるものを比較の概念に当てはめ、分離させているわけです。

分離と比較の幻想

この分離が、分離感を生み、
僕らは、この分離感があるがゆえに、それを埋める何かを求めるわけです。

なぜ埋めなければならないと感じるのか?というと、
自分は本来満たされているということを知っているからなんですね。

だから、分離し、足りない自分に違和感を感じるのかもしれませんね。

この分離はまさに夢のようなものです。
この夢はある種の強い催眠術にかかっているようなものなんですね。

まるで、その比較の概念が、とても論理的で正しいかのように感じているわけです。

そして、その比較によって出来上がった分離の世界こそが真実かのように振る舞っているんです。

盲目の太陽

もし、盲目の太陽がいるのだとすれば、
その太陽は、まるで自分の周りで輝いているその輝きが自分の外にあると錯覚しているがゆえに、自分もその輝きをほしいと願うわけですが、
この錯覚こそが、僕らがみている分離の夢なんです。

この夢から醒めるには、外を見るのではなく自分の中を観ていくのがオススメです。
すると、外で見えていたものはすべて自分の中にあったことが明らかになるわけです。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!