Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

執着は捨てなくていいのよ。

はじめに

おっはようございます!
タクさんです。

さてみなさん。
よくお釈迦さんの教えなんかで、
執着を捨てよ!
ってなものがあるじゃないですか。
きっとお釈迦さんの教えの骨子の部分だと思うんですけどね。

でもこれ、そんなん無理やわ!
って思いません。
要するに、欲をなくせってやつですもんね。

そんなことできる人おるん?って思いますよねー。

でもこれ、本来の意味はそういうことじゃないんです。
欲をなくせとか感情を押さえつけろってな話じゃないんですよねー。

頑張って修行して捨てられるようになれ!ってことじゃないんです。

「執着を捨てよ」は、抑えることじゃない

お釈迦さんは、人生には苦しみ(dukkha)がある、
そしてその苦しみの原因は「執着(渇愛)」である、と説きました。
これは仏教の基本教義「四諦(したい)」のうちの「集諦(じったい)」で語られてます。

ざっくり言うと、こんな感じ:

苦諦:生きるってやっぱしんどいっす
集諦:そのしんどさは、実は執着が生んでるんよ
滅諦:その執着が消えたら、しんどさもなくなるっす
道諦:そのための方法あるよ!(八正道とかオススメっす)

つまり、執着があるから苦しんでるんですよ〜って話なんですね。

でもここでいう「執着を捨てよ」は、「欲を全部消せ!」とか「感情を抑え込め!」って意味ではありません。

「執着してることに気づけば、自然と緩んでいくよ」っていう、
めっちゃ実感ベースのやさしさなんです。

執着って、どういう状態?

じゃあ、執着ってなに?って話なんですけど、

たとえば、
「これがなきゃ幸せになれない」
「これを失うくらいなら死んだ方がマシ!」
「なんで思い通りにならないの!?」

みたいなこだわりや条件づけのことです。

つまり執着って、
「これじゃなきゃイヤ!」って心の反応であり、
それにしがみついてる状態のことなんです。

でね。
それが悪いってわけじゃないんです。
でも、そのしがみつきが「苦しみ」を引き起こしてるよってことなんですねー。

それ以上でもそれ以下でもありません。

ただ、架空の条件づけを元に錯覚のような苦しみがまるで事実であるかのようにえんしゅつされてるよ!ってことなんです。

執着をそのまんま受け入れる

でね。
この執着を無理に「捨てよう!」とすると余計にこだわっちゃうんですよねー。

「もう考えたくない!」
「早く忘れたい!」
って思えば思うほど、むしろ頭から離れなくなったりするもんじゃないですか。

だからね捨てなくていいんです。
そもそも捨てろって言われても、実際にあるものじゃないですからね。
ゴミ箱に捨てるってわけにもいかないものですから、捨てることなんてできないんです。

ただ気づいてみたらいいだけです。
「あ、自分めっちゃしがみついてるなー」
「これが欲しくてたまらんのやなー」って。

そして、それをそのまんま受け入れてあげるんです。
この受け入れてあげる。これが手放すとおなじなんです。

執着を持つ自分を受け入れるんじゃないですよ。
ただ起こっている執着、それはただ起こっているだけということです。
それをどうにかする誰かはそもそも存在してないということなんです。

 

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