
はじめに
どうもっ!
今日のあなたも早くてかっこいいです!
早いぜすごいぜ!おはようございます。
タクさんです。
さて、昨日の記事で「四諦(したい)」について触れたじゃないですかー。
苦諦:生きるってやっぱしんどいっす
集諦:そのしんどさは、実は執着が生んでるんよ
滅諦:その執着が消えたら、しんどさもなくなるっす
道諦:そのための方法あるよ!(八正道とかオススメっす)
ってやつです。
でね、その「執着が消える方法あるよ!」って言われたら、
やっぱり気になっちゃいますよね。
オススメの八正道ってなんなのよー!ってねー。
今日はその「八正道(はっしょうどう)」について、僕なりに感じてることを書いてみますね。
あ、もちろん僕は仏教の専門家じゃないので、
「いや全然ちゃうやん!」ってツッコミもあるかもですけど、
あくまで「個人的感覚」ってことで、先にあやまっておきます。
すんません!
お釈迦さんも教えを鵜呑みにすな!って言ってたみたいなので別にいいよね?ね?
八正道ってなんなん?
さて、まずはざっくり紹介すると、八正道って以下の8つのことを指しています。
1. 正見(しょうけん):正しい見方をしようぜ
2. 正思惟(しょうしゆい):正しい考え方しようぜ
3. 正語(しょうご):正しい言葉使おうぜ
4. 正業(しょうぎょう):正しい行動しようぜ
5. 正命(しょうみょう):正しい暮らし方しようぜ
6. 正精進(しょうしょうじん):正しい努力しようぜ
7. 正念(しょうねん):正しい気づきを持とうぜ
8. 正定(しょうじょう):正しい瞑想しようぜ
全部「正しい〇〇」ってついてて、なんかこう、ハードルが高そうな気がしちゃいがちなんですけど、
でもこれ、いちいち難しく考えなくてもよくて、僕的にまとめちゃうと、
「正しく見る」ってことが大事で、
そのために他の7つが準備体操みたいなもんとしてあるんじゃない?
って感じがしてるんですよね。
「正しく見る」ってどういうこと?
ここで言う「正しく見る」って、別に倫理的に「正しいか間違ってるか」って話じゃないんです。
そうじゃなくて、「あるがままに見る」ってことですね。
ところがですね。
僕らには、あるがままに見るのがめちゃくちゃ苦手!なんです。
ついつい思考を通した世界を見ちゃうクセが染みついてるんですよねー。
たとえば、イライラしてるとき。
「なんであいつ、あんなこと言ったんや…」とか、
「オレはこんなに頑張ってるのに!」みたいな、
思考と思考がからみあって世界ができちゃいます。
その時点でもう、あるがままじゃなくて、思考フィルター全開モードでその世界ばかりを注目しちゃうじゃないですか。
だから、「正見(しょうけん)」ってのはつまり、
おい!それ思考フィルターのほうみてるでー!ってことなんです。
で、そのフィルターに気づく準備運動として、
日々の行動とか言葉とか努力とかをちょっと丁寧にしましょってのが、
残りの「正語〜正定」ってことなんじゃないかって思うんです。
思考フィルターが生む幻想の世界
僕らの「苦しみ」って、大体この「思考フィルター越しの世界」で起きてるんですよ。
実際のところ、起きてる“ように感じるだけ”なんですけどね。
思考がそう演出してるだけ、ってことなんです。
例えば
「自分ってこういう人だから…」
「こうしなきゃ評価されないから…」
「こんな自分じゃダメだ」
みたいな、ぜーんぶ「思考で作った自分」が主人公になってるんです。
で、その自分をまた思考で責める。
うん。なんかもうややこしいですよね!
フィルターを通した世界はフィルターによって歪んでいる。
そのことにちょっと気づき始めてくると、
今まで自分を責めていたありとあらゆること。
これらすべてが、「え、これって幻想だったん!?」
って気づく瞬間がくるかもしれません。
いままで、自分をどうにかこうにかしなきゃ、全然安心できんわーって、
ずーっとそのことばかりが気になってたじゃないですか。
それらが全部幻想なんです。
そりゃあもう「あーよかったわ〜」って大安心ってなもんです。
よかったもヘチマもあらへんがな!
この「あるがままの見方」が極まってきますとね。
なんとその「自分」という存在すらも、
実は思考がこしらえた幻想だったんだってね。
そんな当たり前のことを見落としてたことに気づくんですよねー。
そうなるともう
「 よかったもヘチマもあらへんがな!」
ってなもんです。
今までずっとひっかかっていた、「良い」と「悪い」からくる心の大荷物をなんにも背負わなくてよくなるんです。
あとに残るのは今ここの静寂さだけです。
この静寂が、なんていうかすごーく満ちているんです。
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