Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自業自得と独り相撲のお話

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【はじめに】

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

天につばをはく
ってね。
そういう言葉ってあるじゃないですか。

ま、天につばをはいても自分に返ってくるよ〜。
っていう話なわけですが、

僕、子供の頃にねー。
本当に腹がたった事がありましてね。

ホントに神様がいるんだったら、なんてひどい仕打ちをするんだ!
ってね。

ものすごく怒りが湧いてきまして。

実際に天につばをはいてやったことがあるんですよね。
そして、返ってくる前にササッって避けてやるんです。

そして、
「ざまーみろ!避けったった!」
とかゆーとりました。

でも、何に腹が立っていたのかは、今となってはさっぱり思い出せないんですけどね。

ま、天にはいたつばが、自分に戻ってくるということは、
天の神様は自分だということなんでしょうね。

でも避けた場合は、避けられたのは自分なのか?それとも避けたのが自分なのか??

 

【自業自得】

さてさて、変なトンチのような冒頭になりましたが、
自業自得ってね。結局こういうことなんだと思います。

自業自得が使われるときって、自分の悪い行いが自分に返ってくるということばかりがフィーチャーされてますが、善悪は多分関係ないんでしょうね。

そして、このことがきっと悟りとか非二元を知ろうとするときの大きなパラドックスになってたりもするわけなんです。

大体こういう話を知ろうとするときってね。
何かしらに困ってるときが多いと思うんですよ。
単なる好奇心っていうのもあるんでしょうけどね。

その困ってる自分をなんとかしようっていう動機がね〜。
一番邪魔をしているってことになっちゃったりするんですよね。

まさに鏡に写った自分を殴ってる。
みたいなね。
鏡を殴れば、傷つくのは殴った自分である。
ってことなんですよね。

逆に何もしなければ、ただ写ってるだけであって、
その鏡の中の自分が襲いかかってくることはありません。

【思考や感情に力はない】

鏡の中の自分が襲ってこないのと同様に、
僕らの思考や感情もね。
向こうからは襲ってこないんですよね。
そもそもそういう力をもっていないんです。

思考や感情ってね。
一見、ものすごい力で自分を巻き込み襲いかかってくるようなイメージがあるじゃないですか。
でも実は、一切の力を持っていないっていうのが真相なんです。

その思いをなんとかしようと抵抗するなら、その抵抗が自分に襲いかかってくる。
という感じなんです。

だから、何もするなってことなんですよねー。

でも、なんとかしようとする手段として「何もしない」をやると、やっぱりそれは抵抗してるってことになっちゃったりするんですよね。

この辺が大きなパラドックスでございまして、
瞑想なりなんらかのメソッドなり、なんでも良いですが、思考や感情を置いておこうとしても、その動機として「何かしらをなんとかしよう」という思いがあると、

結局、色々やってるけど、全然変わらないじゃん?
ええ?やり方間違ってる??

みたいなね。
そんな思いに陥ったりするわけです。

【準備運動】

それじゃダメだから、そういう動機を持たずに、
ただ思考や感情に取り込まれないようにしてくださーい。
ってね。
言ったりする先生もおられるわけですが、
「それができりゃ世話ね〜よ!」
ってなったりするんですよね〜。

「腹減ってるときに、お腹は減らさないでくださいね〜!」
「痛いのに、痛みは感じないでくださいね〜!」
って言われてるようなものですもんね。

僕がココで書いている、癒やしや自分を愛でることっていうのも、
そのための準備運動のようなものなんですよね。

だから、癒やしの目的としては、そういう思考が一切起こらないようになる。
ということが目的ではなく、ただ、今だけでいいから、何もしないに在れやすくする。
ってことなんです。
ちょっとだけ緩めてあげる。
ということなんです。

この癒やしはきりがないし、悟りとは関係ないでー!ってね。
そんな事を言う人もおられるかも知れません。

これは、準備運動を本番と混同してるってことなんです。

ま、いろんなことを言う人はいますから、混乱しちゃうこともあるかも知れませんが、
「他は間違ってる!私こそ正しい方法でっせ!」っていう主張にはあまり耳をかさないほうが吉です。
それは古典的な宣伝文句なんです。

そもそも正しいも間違いもありません。

【独り相撲の様相】

また、何もしないって言われても、
理屈では、
「何もしなけりゃ、何も変わらないから結局ダメじゃん。」
ってね。
思考ちゃんは主張してきますが、何もしなけりゃ、向こうから思考や感情が襲ってくることはないんですよね。
あ、もちろん最初の反応は避けられませんけどね。
それらはただ、起こっては消えていくだけなんです。

この辺りが、徐々に明かされていくと、独り相撲の様相もまた明かされていくんです。

あ、ワシは自分に抵抗するために、自分に襲いかかってたんだ!

っていうね。

その様相に気づくというわけですね。

この気づきに主体はありません。
そもそも、なんで全てに主体があるって決めつけてるのか!
って話なんですよね〜。

 

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