Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

所有する安心と所有しない安心

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おはようございます。
タクさんです。

ハイエナっているじゃないですか。
きっとよく見たら可愛いんでしょうけど、
人にはあまり良く思われていない動物ですよね。

実際に嫌っているのは人間だけであって、
他の動物たちは、ハイエナのことをどうこう思ってないと思うんですが、
なぜ人はハイエナを嫌うのか?というと、
ライオンや他の動物が仕留めた獲物を横取りするから、

それはずるいぞっ!
という思いが人がハイエナを嫌う理由になっていると思います。

横取りがずるい!
悪いこと。
というのは、あくまでも人間による人間社会にとっての観念ですので、
実際はずるかったり悪かったりすることじゃないんですよね。
あくまでも人間社会ではダメだということになっているだけです。

そんな人間社会でされたら困ることをハイエナに投影しちゃうので、
人はハイエナを嫌ったりすると思うんですよねー。

「ハイエナのようなやつ!」
ってねぇ。
ハイエナにとっては失礼な話ですよね。

そもそも、わしらの名前を勝手に決めて分類するなっ!
って話ですもんね。

イノシシと豚にしたって、
「豚って野生化するとイノシシになるらしいぜっ!」
とかいったり、イノシシと豚との間の子をイノブタと呼んだりしてますが、
豚からしたら、そもそもそんな分類はナンセンスですがな。
って話ですもんねー。

 

おっと、
ちょっと話が逸れましたが、
僕らって何かを所有することで安心を求めちゃうという習性を持っています。

実は、僕らって何かを所有したことなんてないんですよ。
でも所有に安心するんです。

では、何を持って所有していることにしているのか?
といいますとね。
これもまた、一つの分類をしてるんですよね。
分類やルールをもって、所有したということにしているんです。

なんていいますかね〜。
ほら、一昔前に月の土地の売買が流行ってたりしたんですが、
あれと同じような感じでね。
元々は誰のものでもないんですが、そういうことにしとこうね〜ってね。
概念を共有することで、所有ということにしてるんですよね。

つまり所有というのは一つの概念なんです。

これが、モノならまだわかりやすいんですが、
思いや考え方、信念なども所有しておこうとしちゃうと、やっぱり概念化しなきゃならないので、あれこれと分類したがるんです。

概念というのは分類による定義が必要ですからね。

そして、分類によって「足りない」が生じてしまうというジレンマもあるんです。

足りないがあるから安心が欲しくて所有を求める。
そして、その安心であるはずの所有が足りないを演出するということなんですねー。

所有なんてものは単なる概念ですので、実際には無いんですよね。

無きゃ困る〜。ってね〜。
思うかもしれませんが、大丈夫です。
だって、今までだって何も所有したことなんてありませんからね〜。

つまり何も変わりません。

でね。所有って無いんだー!ということはね。
実はものすごく自由だということなんです。
そして、所有のなさこそが、所有しているものに責任を持たなくていいということにも気づかせてくれるんです。

この責任を持たなくてもいいということはね。
足りない〜!という思いに悩まなくてもいいということになるんです。

するとね。不思議なことに、安心するんです。

安心するために、なにかに依存しなくても良かったんです。
安心をなにかに依存すること。
これがボタンの掛け違いになって、不安を生み出していたんですよねん♪

 

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