フレッシュ!フレッシュ!フレーッシュ!
ゆーてねー。
昔、松田聖子さんが歌ってはりましたが、
あの人、今もめっちゃ若いですね!
めっちゃフレッシュです。
もちろん、若々しさを保つ様々な努力もしてはるんでしょうけどねー。
マイケルジャクソンの晩年も、若い頃とおなじような体型を保ち、
死の直前まで、キレのあるダンスを披露してましたもんねー。
いや、マジで、ぶくぶく太ってる場合じゃないなぁと、
改めて思うタクさんです。
みなさん。
おはようございます。
最近、週に何度かビリーザブートキャンプに勤しんでいるタクさんです。
いやぁー。ビリーさんすごいっす!
動きについていけません。
さて、フレッシュという言葉からは、まあなんていうか、
みずみずしさ!新しさ!若々しさ!というものを感じますよね。
ということはですねぇ。
フレッシュッ!というのは、一番あたらしく、一番みずみずしいものです。
一番新しくて、一番みずみずしいもの。
これは何かと言うと、「今」ですよね。
「今」身の回りに起こること全てはフレッシュなんです。
全てにおいて、「今」こそが一番フレッシュなんですよね。
つまり、僕らは常にみずみずしいフレッシュさに囲まれているわけです。
そんなフレッシュな「全て」とつながっているんですよねー。
あらゆることは常にフレッシュでみずみずしく新しいんです。
つまり、フレッシュなもの以外は存在しないんですよね。
では、古さというのはどこに存在するのか?
というと、これは相対的な考え方と記憶がおりなす錯覚の中にあるんです。
錯覚なので実際に存在するものではなく、思い込みのようなものとも言えます。
すべては常にフレッシュであるということは、常に新しく変化しているとも言えます。
ものすごーく厳密にいうとこの変化は記憶によって生み出される概念なので、
全ては常に変わっていて何も起こってないということになるんですが、
ま、厳密に言い出すとややこしいので、ここはまた別の話としておきます。
常に新しく、常に変化している。
そんなフレッシュさが僕らに常に降りかかってきているんです。
そして、常なる変化は取っておくことができません。
なぜなら変化は常に起こっては消えていくものなので掴みとれないんですねー。
そんな取っておけないものを無理やり取っておこうとする時に、僕らは何かしらのフィルターを通して加工することによって取って置こうとするんですねん。
そして、フィルターによって加工されたものをストーリーとしてイメージとして展開するんです。
このフィルターによって加工(演出)されたストーリーはフレッシュじゃないんです。
固定されたことによって古くなるんですよね。
変な話、若い時の自分は加工された記憶の中のものなので、若いけど古くて、
逆に、今の自分が一番フレッシュなんです。
そして、古いものを見ている間は、古い考え、フレッシュじゃないストーリーを見ながら、その古さを身の回りに演出しているんですよねー。
古いものを見続けることで、今のフレッシュさを見逃しちゃうんです。
そして、古い思い込みという枠に、自分をはめ込んじゃうことで不自由さを感じちゃうんですねー。
フレッシュ!には枠も不自由さもありません。
その代わりに、型にはめられないので、持っておくことも、取っておくこともできないんです。
僕らはついつい、取っておける古いものを選んじゃうんですよね。
取っておけるものにいつしか安心感を感じるようになり、さらにそこに依存しちゃってるんです。
でも皮肉なことに、この古いものは、事実ではない観念や概念で出来ているので、その不完全さによって、「足りない」を作り出し、その枠によって不自由さを感じちゃうんです。
だから余計に安心感を求めちゃったりするんですよね。
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