Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

すべてはおニューでダイレクト

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はじめに

はい!
どうもおはようございます。
タクさんです。

皆さんは子供の頃、おフルをもらったことがありますか?
ランドセルとか子供服とかのおフルのことです。

あのおフルってねぇ〜。
子供心ながらに、やっぱりちょっとテンションが下がっちゃったりするもんですよね。

僕も子供の頃、ランドセルのおフルをもらった覚えがありますが、
あまり気に入らなかったので、あまり使わなかった覚えがあります。

やっぱ、おニューのほうがテンション上がりますもんね。

僕らってやっぱり、古さというものにテンションが下がるんですよね。

古臭いって言葉もありますもんね。

お話にしたってそうです。
聞いたことのある話って、あまり興味がわかないですよね。

こんな話、聞いたこと無いっ!
って話のほうがテンションがあがります。

つまりおニューはテンションが上がる!ということなんです。

じゃあ、この古いっていうのは、どこから来てるんでしょう?
モノなら、使い古された感じがあるのでわかりやすいですよね。

でも、お話や考え方の古さというのは、どこから来てるんでしょうね?

 

古さとは記憶である。

これはねぇ。
記憶から来とるんですよね。
知ってるもの。聞いたことがあるもの。
これらは全部記憶の中にあるものですもんねー。

もし、僕らに記憶という機能がなければ、
どんなものでも常に新しく感じると思います。

記憶が、あらゆる出来事を古くさせている。

もっというと、記憶が古さを演出させていると言えるかもしれませんね。

なぜなら、出来事やお話、思考に感情に感覚。
これらはすべて今、ダイレクトに起こっているものです。
なので、これらに古さというものは存在していないんです。

にもかかわらず古さを感じてしまうということは、
目の前のダイレクトな世界を、一旦記憶というフィルターを通しているからなんです。

未来=過去である

よくね。
こういう話を言ったり書いたりしているとね。
以前とは何が変わりましたか?
どのように変わりましたか〜?
なんてことを聞かれるわけですが、

その時はよく、
「基本的に何も変わらないよ。」
「ただ、何も変わらないし変えなくていいってなると深刻さは減っていくかなぁ〜。」
ってな感じでお答えしているんですね。

でも、そもそも以前なんてものは無いんだよな〜。
って感じたりもしています。

なぜなら、その以前というものは、記憶の中にしか存在しない幻想だからなんですね。

全ては今しか存在していません。
その今を記憶というフィルターをとおすことによって、今じゃないものを演出しているに過ぎないんですからね。
なので、以前というものは目の前に存在してないんです。

そして、以前がないなら、未来も無いわけですね。

僕らが想像する未来はすべて過去の記憶によって類推されたものに過ぎず、
未来とは過去のこととも言えるんです。

すべてはおニューである

あらゆるものはダイレクトに存在しています。
ダイレクトとは、分離のないそのまんまの全てなんです。

分離の概念を通さないからダイレクトなんですよね。

そして、これはすべておニューであるということでもあるんです。
僕らも目の前の世界は常にみずみずしい新しさに溢れているんです。

 

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