おはようございます。
最近、トイレが近いタクさんです。
子供の頃はいくらでもトイレを我慢できたような気がするのですが、、、。
今はダメです。
夏休みなんかにね。
いなかのおじいちゃんおばあちゃんの家に遊びに行くじゃないですか。
僕のじーちゃんの家は、それこそ本当に田舎にありまして、
トイレも未だに汲み取り式なんですね。
そのトイレが、どうにも子供心に怖くてですねぇ。
ずっと我慢してたことを思い出します。
今はそんなに我慢をするのは無理ですねー。
ま、我慢はあまり良くないですからね。
皆さんも素敵なトイレライフをお過ごしください。
さて、
トイレだけじゃなく、
いろんなことで我慢をされている方もおられるかもしれません。
でも無理な我慢は禁物です。
我慢は程々に楽しめる程度にとどめておくくらいでちょうどいいんですよねー。
あまり我慢をしていると、
いつしか僕らってこの我慢を正当化したくなってくる場合があります。
そもそもしなくてもいい我慢は、する必要がないわけですが、
我慢をしなきゃならないと思っているということは、
我慢に何かしら正当な理由を感じているからでもありますからねー。
そうやって自分が我慢をしていると、
次はこの自分を正当化しだすんです。
ま、ココまでは別に問題ないんですけどね。
この自己正当化が発展すると次は他者批判になっちゃうんですよね。
自分が我慢していることを他人が全く我慢せずに飛び越えていったなら、
それはまるで、自分が否定されたかのように感じたりするわけです。
自分が否定されることを容認すると、自分は危険になってしまいますのでね。
この恐怖が怒りとなって表れてくるんです。
そんな怒りも相まって、他者批判はエスカレートしていくわけですが、
この他者というのは、まさしく自分が作った幻想の他者でもあるわけなんですねー。
この幻想の他者を生んでいるのは、
したくもない我慢を課している自分なんです。
我慢を楽しんでいるのなら、他者批判にはなりません。
つまり、他者批判が出てくる場合は、したくもない我慢をしているってことなんです。
だったら、そんな我慢はやめちゃえばいいですし、
やめるための戦略を立てればいいんです。
いくら我慢をしない他者を批判して、自分の正当性を示したとしても、
そのことで、やはりこの我慢は正しいんだ!と思えば思うほど、
よけいに自分の首を締めてしまうことになります。
また、正しさという幻想のヴェールによって、
自分が我慢をしているということさえも隠されてしまうんです。
すると、自分が我慢していることすら気がついていなかったりするんです。
自分と向き合うということ。
これは、
「一体ワシは何を握りしめているんだ?」という確認作業でもあります。
丁寧にヴェールを剥がしていくことによって、
握りしめているものを確認していくんです。
よく、「許せない思いを嘘でもいいから許してみる」
みたいなことを僕は言っているんですが、
これは、何を握りしめているのかを確認するのにもとても役立ちます。
身近なことを嘘でもいいから許してみてあげたとき、
どうなるのか?
別の「許せん」が出てきたなら
それも嘘でもいいから許してあげて、
どうなるのか?を確認してみるんです。
そのうち、何も掴み取るものがないところに追い込まれます。
そうなったなら、そこにリラックスしてあげたらいいんです。
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