Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

イヤな自分、ダメな自分、情けない自分

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ほいっ!
おはようございます。

テレビで見るラジオ体操に、若干の違和感を覚えている
タクさんです。

「はい。ラジオ体操第2〜!」
とかね。
体操のおじさんがさらっと言ってたりするんですよ。
テレビなのに、、、。

ま、それはいいんですけど、
このラジオ体操。
子供の時の夏休みの定番でしたよねー。
今もあるんですかね??
僕はほとんど通ってなかったですが、、、。

子供の時のラジオ体操ってねー。
なんていうか、軽すぎて、これが体操になってるのか??
と不思議に思ったものでした。

アキレス腱を伸ばしましょうー。
っていうのも、正直、この体勢になんの意味があるのかさっぱりわかってませんでしたしねぇ。

でも、今ラジオ体操をすると、結構キツイんですよね。
アキレス腱伸ばしとか、めっちゃキキますし。。。

あー子供って体が柔軟で柔らかいんだなぁ〜。
と感じました。

 

さてさて、
このブログでも、
足りない自分」についてよく書いてると思います。
そして、この「足りない」が探求を促し、
探求によって得られる条件は、さらなる「足りない」を生み出す。

っていうねー。
そういう悪循環があったりするわけです。

「足りない」のない自分にならなきゃならない。
というのは、少々無理ゲーなところもございまして、
「足りない」がないと「自分」が成り立たない。
というところもあるんですよねー。

だからね。
自分というのは足りないという思いとセットになっているようなところもあるんです。

これはもう、仕組み上、仕方がないことやったりもするんですよねー。

なので、心の奥には、「足りない自分」というのを抱えていたりするんです。

僕らの人生っていうのはね。
この「足りない自分」をどう克服するか?
といった人生だったりもするわけです。

そしてね。
この克服をするために、よーくやるのが、
まずはこれを隠すことなんですよね。

心の奥にある自分を、まず隠すんです。
そして外に出てこないようにするんですよねー。

「足りない自分」というのは、
イヤな自分だったり、ダメな自分だったり、情けない自分だったりします。
そんな自分が外に出てきてしまうと、いろいろと不都合がおきそうなので、
なんとか隠そうとするんです。

よくね。
穴掘って何かを隠したとしますとね。
そこに、掘った跡がついたりするじゃないですか。
すると不安になって、今度はその跡になにか覆いをかけてごまかして。
覆いをかけても、なんか怪しいので、今度はその上から土をかけて、
それでもまだ怪しいからその上に草花を植えたりして、、、。

ってねー。

一つ何かを隠し出すと、結構キリがなかったりしますよね。

それと同じで、「足りない自分」つまり「ダメな自分」というのも、
もう何重にも覆いをかけて隠していたりするもんなんです。

「足りない自分」というのは、いわゆる錯覚のようなものなんですが、
この錯覚の奥に、なんていうか本来の自分というのがあるんですよね。

いわゆる真我と言っても良いかもしれません。
それは、隠し通してきた「ダメな自分」の奥にあるというわけなんです。

本来の自分や真我という言い方は、ちょっとややこしいんですけど、
なんていうか、ホントにやりたいことが湧きあがって来るときに、
ちょうどこのイヤな自分がフタになっててうまく湧き上がらなくなってる。

もしくは、この何重にも覆い被さっているフィルターを通ることによって、
ちょっと色合いが変わってしまう。

みたいな症状が出ちゃったりするわけなんです。

まあそれでも、アスファルトを突き破って生えて来る雑草みたいにね。
出てきてくれたりするわけですが、
それはそれで、ちょっと不自由さがあったりもするんですよね〜。

なんでそんなフィルターができてしまうのか?
これをどう外していったらいいのか?
については、明日書いてみたいと思います。

ではでは、また明日〜♪

 

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