Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分に対して失礼なことをしないようにしよう

はじめに

はいどうもー。
みなさんおはようございます。

たまにね。
失礼な人っているじゃないですか。
どうしても遭遇してしまうことってありますよね〜。

失礼とはどういうことなのか?っていうと、
色々と挙げられますけど、
まとめてみると、人を軽んじるということになります。

自分を軽んじられると、カチンときますもんね。
キズつきますしねぇ。

でも、もしかしたら、
自分自身が一番自分に対して失礼な態度をっているのかもしれません。

よく、自分をかわいがってあげてね〜って僕も言っていますが、
その前に、自分に失礼な態度をとらないってことは、
大前提でございます。

なので、みなさんも、自分に対して失礼なことをしないようにしましょうね。

 

優劣で比較するという失礼さ

さて、
自分に対する失礼なこと。
その最たるものが、自分を優劣という比較の対象に乗せる。
ということだと思うんですよ。

だってね。
いきなりわけのわからない比較対象を持ってきて、
あなた、ここが劣ってるよね!
って失礼にも程がありますもんねぇ。

ただこれ、
結構自分自身でやっちゃってる場合があるんですよね〜。

こんなもん、ネコに向かって、
あんた、うさぎよりも耳が短くて劣ってるよね。

って言ってるのと同じですから。

比較と優劣

そんな失礼なこと、
自分自身でやるはずがない!って思うかもしれませんが、

「自分はダメだ~!」
とか、
「自分は足りない!」
っていう思いがあるとするならね。
それはもう失礼なことをしているということなんです。

なぜなら、こういった思いはすべて、
自分自身にわけのわからない比較対象を当てはめて、
優劣をつけているということになりますからね〜。

比較と優劣なしには、足りないもダメも出てこないんです。

ありのままの素晴らしさ

自分への否定だってそうですよね。
これもまた、わけのわからない比較対象を当てはめて、
勝手な優劣をつけた結果なんです。

それもまた、自分に対して失礼なことなんですよね。

そりゃ、あなた自身もキズついちゃうってもんです。

だからまずは、妙な比較の優劣に自身をさらさないようにしてあげてください。

ただの比較、つまり単なる区別なら良いんですけどね〜。
そこにありもしない優劣をつけちゃうから失礼ってなもんです。

そもそも価値というものは概念であり実際には存在していません。
だから、豚だって真珠に見向きもしないし、馬だって念仏を有難がることなんてありませんもんねー。

ま、そんなわけですのでね。
自分に対して失礼なことをしなければ、ありのままの素晴らしさが蘇ってくるんです。

比較と優劣によって、ありのままであるがままのその素晴らしさが隠されていたんですよね。
ありもしない概念で隠されていたなんて、まるで透明のヴェールで覆い隠していたといったような、そんな隠し方だったんです。

だから、みんなこのことを知ったとき、知っていたことを思い出すんです。

 

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