Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考も感情も個人的なものではない

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はーい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん、お気楽ポンチを遊んでいらっしゃるでしょうか?

それが、どうも最近はお気楽ともいえないんですよー!
ってな方もおられるかもしれませんねー。

ま、それも含めてお気楽でいきましょう。

まあとはいっても、
お気楽ともいえない思い。
終わりが見えない探求。
そして、断続的にやってくる不安な思い。

これらにもう嫌気がさしてきちゃうってのもこれまた人間というものです。

でもね。
別にそれもまた、いいんです。
どちらかといえば、歓迎してあげるくらいでもいいんですよね。

はっはっは!
次の挑戦者は君かい!歓迎するよ!

くらいな気分でいられるなら、
もう嫌気をさしても可愛いものになってくると思います。

そして可愛くなっちゃえば、もうこれは嫌気じゃ無くなってくるんです。

嫌気をさすからには、嫌なものがあることを認めてないとダメですからねー。
そして、これらを消そうとするからには、嫌なことを掴んでなきゃいけません。

これは、嫌なものをぎゅっと握りしめながら、手放したいと叫び
手放したいを叫ぶために、嫌なものをぎゅっと握りしめ続ける。

というのと同じでしてね。
ここが一見ややこしいパラドックスになっているんですよねー。

嫌を消そうとすることは、嫌を認めることになり、
嫌をあっても良いものとすると、嫌は嫌ではいられなくなるっていうことなんですよね。

 

外に吹いている風を止めたいと願ったとしても、
止まるときもあれば、まだ吹くこともあります。

風はあなたが起こしているわけではありません。
止めようとするのはお門違いだといえますよね。

思考や感情もまた、あなたが起こしているわけではありません。
ただこの単に起こっていることに、自分を後付けし、
これは、自分自身に起こっている思考なんだ!と思い込み、

この思い込みが、思いや思考をコントロールをしようと
お門違いな試みをしようとしているわけなんです。

「どうすれば思考に巻き込まれなくなるんだろう??」

ってねー。
思っちゃうこともあると思うんですが、
それって、そう思っている間、それが起こってるだけなんですよね。

思考も過去の記憶も、思い出しちゃう嫌なことも、掴み取ってしまう不安も、
あなたがそうしているわけではなく、
掴み取った後に、私という概念をくっつけているだけなんです。

これらも単に起こっているだけなんです。

窓の外に吹く風と同じようにねー。

「これが私に起こっている!」
という思いもまた、一つの思考です。

起こっている不安と、「私に起こっている」という思考。

この両方を、一旦、脇に置いておけばいいんです。

どんなものも起こっては脇に置き、起こっては脇に置いてみると、
なんでもない空間が残ってくると思います。

だったら、その空間にザバーンと飛び込んで、
そこにゆったりとたたずんでみるんです。

これが、今ここへのリラックスなんです。

 

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