Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

大丈夫だということ。

f:id:takuteto:20190531082232j:plain

へいへいへい!
おはようございます。
最近やたら眠いタクさんです。

いやー眠い。
好きなゲームをする時間もないくらい眠い。

あれかなー。
季節の変わり目だからかなー。

季節の変わり目ってやたら眠くなったりするんですよね〜。

ま、眠いという話は置いておいて、
よくねー。

「すでに大丈夫なんです!」
なんてことをね。

僕もよく言ってるかもしれませんし、
よく言われてたりもしますよね。

とは言っても、
その大丈夫さがわからないから、なんとかそこをつかみたい。
と思う方もおられるかもしれません。

今日はそのへんのことについて書いてみたいと思います〜。

 

すでに大丈夫ってなんや!!

って話なんですけどね。

「すでに」というのは、僕らが何かを掴み取る以前。
といったような意味なんです。

僕らは大丈夫じゃないと思う時は、
その大丈夫じゃない理由を掴み取っていますよねぇ?

だから、この大丈夫じゃない理由が大丈夫になるための材料を探し求めるわけです。

これが見つからない限り、大丈夫にならないわけですからね〜。

ですがここにパラドックスが潜んでいるんです。
この材料を探している間は、大丈夫じゃないを維持し続けているということになるんですよね。
もちろん、解決策がみつかった場合は問題にならないんですが、
それがない場合、なんとかその大丈夫になる材料を探し続ける羽目になるのです。
そして、この探すということが、暗に「大丈夫じゃない」を維持し続けるんですよねん。

だから、どうしても大丈夫になりたいと思い続けるわけなんですが、
そんな時に、
すでに大丈夫なんです。
なんて聞いちゃいますとねー。
どこにその大丈夫のタネがあるのー??

ってねー。
知りたくなっちゃうんですよねー。

でも、このすでに大丈夫というのは、
あらゆる理由を解決するというものじゃありません。

それは、
その大丈夫じゃないという理由は解釈でしかないという見抜きなんです。

でも大丈夫になるために
「この理由は単なる解釈だー!!!」
ってね。
と思い込もうと頑張っちゃうとこれまた、思いっきりこの理由にハマっちゃうんです。

だから理由が解決しないのなら、それを受け入れなきゃならないんです。

大丈夫じゃない理由があるなら、その理由を抱きしめてあげるんです。
そして、大丈夫じゃないなら大丈夫じゃないんだ!ということもね。
まずは今だけでもいいから、受け入れてあげるんです。

これが受け入れられた時、
この問題はどっちでもいいことに変化します。

どっちでもいいことになっちゃうとね。
もうこの問題を掴み取っておくことはできなくなってくるんです。

すると、
「受け入れられない思いが目の前の真実から目を背けさせていた」
ということが露わになるんです。

そして、自我ちゃんからみると平凡で、
自我ちゃんを通さずにいると、極みのない全体であり、
静寂であり力強く、それでいて、
一切が未知である「それ」に自我ちゃんもまた溶け込むんです。

ここには、大丈夫も、大丈夫じゃないもありません。
そして、大丈夫をやっても、大丈夫じゃないをやっても、
どちらも許されていたんです。 

takuteto.hatenablog.com