はい。
おはようございます。
タクさんです。
心の苦痛っていうのは、自分が気にしている間だけ起こってるんだー!
みたいなね。
あ、自分の投影がそうしてるのかー。
ってね。
納得したとしても、
でも、
あの人が、あいつが、
色々と自分に問題を持ってくる場合はどうすりゃいいんだろう??
やたらと文句を言ってくる人がいる。
なーてね。
そんな悩みもあったりしますよね。
あと、よくいただく質問で、
私は随分と楽になったんですが、
夫が、、、妻が、、、息子が、、、娘が、、、。
あの人が、、、、。
この人が、、、、。
みたいな相談もよく聞いたりします。
まあ、自分が楽になったんだったら、あの人にも楽になってほしいというのは人情ですもんね。
でも、僕らは誰かを強制することはできません。
そもそも、この話で言うところの楽さというのは、
自分という枠が薄らいでくることによるものですのでねー。
普通に良いことも嫌なことも起こり続けます。
本当のそれにくつろいでいるときは、自分も誰かもいてなくて、
それは良くも悪くもない、ひとつの素晴らしい表現として見えてくるわけですけどねー。
なので、できることは心がくつろいでいること。
それ以外にできることってないわけですし、
そうしていること以上に素晴らしいことはないわけですが、
それでも、
誰かの影響を受けたりはしちゃうもんですもんね。
だって、人間だもの。。。
ゆーてねー。
まあ、実は影響を受けてると思っていたとしても、実はそれは自分の心の投影だったりもするわけですが、
この辺の話は置いておいて、
ちょっと、こんな場面を想像して見てほしいんです。
どっかの食堂でね。
他の人が何かをむしゃむしゃと食べてたとするじゃないですか。
普通、それを横取りしたりしないですよね。
わしに食わせろっ!ってジャイアニズムを発揮したとしたら、
取られた人は、また自分で食べ物を取ってくるでしょうしねぇ。
まあ、これと一緒なんですよ。
なので、他の人はちゃんと、必要なものをとってきて食べてはるんです。
僕らは、自分の食べ物を美味しく食べてたらいいんです。
もし、不味そうに食べてる人がいても、あなたが美味しそうに食べてたのなら、きっとその人の食べ物も美味しくなってきますのでね。
あ、このことを書いてたら、以前、離婚でもめてた時に嫁さんと食べた砂の味のフランス料理を思い出しました。。。。
本当、気分で食べ物の味って変わるんですよね。
誰かが美味しそうに食べてる食べ物はその人のものですので、僕らは自分の食べ物を美味しく食べればいいんです。
また、誰かが、不味い料理を、
お前が食えー!って持ってきたとしても、
それを受け取らなくてもいいんですよね。
お釈迦さんの話でもそういうのがありますよね。
ある日、お釈迦さんに向かって、罵詈雑言をあびせるバラモンがいました。
そのバラモンに向って、お釈迦さんは言いました。
「ちょっとそこのバラモンさん。もし、きみのところにお客さんがやって来て、きみがそのお客さんに食べ物を出したとしましょう。
でも、そのお客さんがその食べ物を受けとらなかったとしたなら、
その食べ物は誰のものなんだい?」
バラモンさんは答えました。
「お客さんが受けとらなければ、その食事はもちろん出したワシのものになるわなぁ。。。」
お釈迦さんは答えました。
「では、バラモンさんよ、わたしはきみの罵詈雑言を受けとらないことにするよ。なので、その悪口はあんたのものだね♪」
ま、そういうわけで、僕らは目の前のご飯を美味しくいただけば、それだけでいいんですよねん。
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