Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人生とは暇つぶしのようなもの

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はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

僕ら人類ってね。
猿から進化していったって言われてるじゃないですか。
それにはとてつもない時間がかかっておるわけでして、
人類も誕生から700万年かけて少しずつ原人から新人とよばれる変化を少しずつしていったんだそうです。

ちなみに人が進化するのって1万年やそこらでは出来ないらしいんですよね。

ということは、僕らの身体はまだまだ狩猟採集していたときのまんまなんです。
狩りをしたり木の実をとって食べていた時代ですね。

じゃ、このときの人は何をして暮らしていたのかと言うと、
大体が食べ物を探しに行き、それを調理して食べて消化する。
これに一日の大半を使っていたんだと思われます。

きっとそれ以外の時間ってなかなかなかったんじゃないか?
って思うんですよね。

つまり、暇な時間なんてあまりなかったんじゃなかろうか?
って思うんです。

 

便利なものの発明で暇ができた

ま、そんな狩猟採集の時代も火の発明あたりから徐々に暇な時間が出来始めたんじゃないかな?と思います。

火の発明のおかげで、僕らは食べ物を消化する時間の大幅な短縮に成功した!
なーんて言われていますからね。

縄文時代の土器などをみていると、かなり手が込んでますもんね。
かなりの芸術です。

きっと、徐々に暇ができ始めて来たのだと思います。
土器の出来をみる限り、もしかしたらその後の弥生時代よりも文化レベルは高かったかもしれませんね。

ま、そんなこんなで3歩進んでは2歩下がるってな感じで、
発展と後退を繰り返しながら、どんどん便利な道具を生み出し続け、
人間の仕事が機械任せになり、さらにはコンピュータ任せになり、

僕らはその都度、暇な時間ってものを手に入れてきたはずなんですよね。

人生は暇つぶしのようなものである

食べて消化して寝る。
それ以外のことというのは、最近できた暇な時間であって、
その暇な時間が出来たことで僕らは、自分の人生だとか
どう在りたいのか?といったようなことを考えだしたんじゃないかな?
って気がするんです。

ま、それらは全部、暇つぶしのようなものなんですよね。

ただ、僕らは、暇つぶしの時間をなんとか有意義にしたいと思っていたりもするんです。

だから、その暇の潰し方の中に、
これは有意義。
これは有意義じゃない。
なんて価値付けをしだしたのかもしれません。

意義があろうとなかろうと同価値である

ま、とはいえ所詮は暇つぶしですからね。
その暇つぶしの中に価値があったりなかったりなんてことは無いわけです。

意義にしたって、あってもいいけど、なくても良いんです。

そもそもその意義ってものが、なんなの?って話ですもんねぇ。

その意義が有るのか無いのか?の線引もただの観念に過ぎないんです。

どこまで言っても暇つぶしは暇つぶしなわけですからね。

だから、自分に何かが足りないなんて思いも、甚だしい錯覚なんです。

 

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