Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

気づきの瞬間。

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たまにさ、深夜とかにクソ下手なドラマとかやってたりしません?

そんなドラマを、暇に任せて何気なくみててるときに、不意に
「ワシはいったい何を見せられとるんや!」
って気づいちゃったりして、慌ててチャンネルを変える。
なーんてね。

なんていうか、いわゆる気づきの瞬間ってね。
まさにこんな感じなんですよねー。

 

「気付きの瞬間」ってね。
なんかすごくきれいな文章で表現されていたり、
仰々しく扱われていたりすることもあったりするので、
なんだかとっても得難く、それでいてとっても神々しいもの!!
みたいなね。
なんか誤解が合ったりするかもしれませんが、

雰囲気としては、
「わしゃー何を見せられとったんや!」
って気づいちゃう感じなんです。

でね。
何を見せられとったのか?といいますと、
頭の中で紡がれるストーリーだったわけです。

その延々と続くストーリーと、そのストーリーを縛る記憶から来る鎖です。

この鎖の出現で、ストーリーは自由を失い、
そして、自由を失ったストーリーに窮屈さを感じたりするわけですねー。

ストーリーを縛る鎖に気づくと、ストーリーは自由さを取り戻し楽になったりするわけですが、また新たな鎖が現れたりするわけなんですよねー。

そんなときに、ちょっとつぶやいてみたら良いと思うんです。

「ワシャ、何を見せられとるんや!」

ってねー。

すると、リアルに感じてたストーリーが単なる頭の中のイメージだったことに気づくかもしれません。

気づいちゃうとやっぱり思うのが、

「ワシャ、何を見せられとったんや!」

ってことになるわけです。

ストーリーはリアル感を伴うから面白いわけであって、
面白がりたいからこそ、よりリアル感を付け加えて観てたわけですねー。

そして、いつしかそのリアル感に逆に囚われちゃったりして、、、。

ときに、
「あなたはストーリーに囚われているんです。」
なんて言葉を聞いて、
「ああ、まだ私は囚われているんだ!」
ってねー。
そういうイメージもまたストーリーに付け加えられちゃったりしてねー。

そんなときは、ぼそっとつぶやいちゃえば良いんです。

「ワシャ、何を見せられとるんや!」

ってねー。

そしてそこに何らかのリラックス感が感じられたとしたら、
そこに一旦落ち着いて、単にそこに居てみるんです。

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