Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

幻想と真実

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すべてはイメージだー
幻想だー
って言われちゃうと、
じゃあ、本質はどこにあるんだ?
って思っちゃいますよねぇ。

幻想だと言うなら、どこに真実があるんよー。
それを教えてよー。
ってねぇ。

みーんなその辺の話になるとボカしてくるんだよねー。
って思いますもんねぇ。

はっきり言って、知りたいのは、
どこに真実があるのか?
真実とはなんなのか?
それを知ったらどうなるのか?

この3点なんじゃ無いでしょうか?

オラオラ!もったいぶらんとこの3点のみ答えてくれや!
ってねー。僕なんかはよく思ったんですけどねぇ。
皆さんはいかがでしょう?

 

真実はどこにあるのか?
って言いますとねぇ。

大概の先生は、今、ここにあるんです!
って言うと思うんですよね。

ま、そりゃそうなんですけど、多分ピンと来ないんじゃ無いでしょうか?
なのでね、
言い方を変えるとしますとね。

「真実なんてどこにも無い。」
っていうことなんです。

あるのは、この幻想の世界と同じものがあるだけなんです。

「はぁぁぁぁ???」
って思われるかもしれませんが、続けますね。

真実は無いんです。
無いから、絶対に見つかりません。

無いから探す。でも見つからない。
でもどこかにあるはずだと思うから探す。
でも無いので見つからない。

これが繰り返されてるんですよねー。

何もこれは真理の探究の話だけじゃありません。
人生の普遍の原理。
普遍的な正しさ、正義。
未来への道筋。

これらも一緒です。

これらもありません。
無いものを探すと探求はひっきりなしに続くわけです。

じゃあ、どうやってカタをつけたらいいんだーー!

って言いますとね。

見つからない訳を知った時、すべてが片付くんです。

その訳とは、
「探すから見つからんのや!」
ということなんです。

お!そりゃそーだ。探したんだもん。そりゃみつからんわ!
ってなるんですよね。

だったら探さないってこと?
でもそれじゃあ、なんにも始まらないじゃん。
って思われるかもしれませんが、

今まで、探してきてこれが答えと思っていたもの。
貼り付けていたレッテル。
これらも全部一旦剥がしていってみたらいいんですよね。

答えがあると思っていたもの。
そして、これが答えだと思っていたもの。
これらのレッテルをね。
一旦で良いので、はがしてみるんです。

レッテルは、動き続け、変化し続けるものに貼っているものなので、
レッテルは変化に伴い通用しなくなるんですよね。

だから新しいレッテル探しをしちゃったりするわけですが、
ここはもう、レッテルを探すんじゃなくて、無いままにしてみるんです。

するとね。
ちょっと面白いことに、
レッテルを貼ったと思っていたけど、実際にペタッと貼ってるわけじゃ無いというい当たり前のことが見えてくるかもしれません。

うはっ♪
ワシ、、、貼ってすら無いレッテルをイメージで有るものとしてた。。。
ウケる!!何も貼ってないのに、、、そう思い込んでたんだ!!!

みたいなことが見えてくるかもです。

つまり答えなんてないのに、答えだと思い込んでいた。
みたいな感じです。

レッテルすらないのに、それをそうだと思い込んでいた。

それは空や雲は名札をつけてさえいないのに、
それを空と雲だと思い込んでいた。

といったようなものだったんです。

するとね。
どこかで、

お!そりゃそーだ。探したんだもん。そりゃみつからんわ!

が腑に落ちてくるんですよねー。

レッテル貼りがいいとか悪いとかじゃなく、
良い悪いすら無いんです。

嘘も本当もなく、全てはすでにダイレクトにありありと有る。
あらゆる答えとされていたものは、このダイレクトさを覆い隠し分割させていたんです。
とは言っても、実際に分割させたのではなく、そのつもりになっていただけなんですよねん。

と、いうわけで、
どこに真実があるのか?
というと、真実と真実じゃ無いものが分かれてるわけじゃ無いので、どこにでもあり、どこにも無い。
といったような答えになり、

真実とはなんなのか?は、
なんでも無いもの。
となり、

それを知ったらどうなるのか?
どうにもならないけど、探求は終わるので、妙な強迫観念はなくなっていくかもよ。
と言ったことになるわけなんです。

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