Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

眉毛担当と指の毛担当

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おはようございます。
タクさんです。

最近ねー。
眉毛の一部だけが、なぜか長ーく伸びてきよるんですよ。
あとね。
指の毛も一本だけなんかミョーンって伸びるんです。

これねー。
僕の見解なんですけど、
毛ってね。
ある程度の長さになったら、するっと抜ける仕組みになっとるはずなんですけど、

指の毛担当のおっさんと眉毛担当のおっさんがねぇ。
長年のルーチンワークでもうなあなあになってるのか?
それとも、担当のおっさんも昔みたいにバリバリじゃなくなって、もうろくし始めとるのか知りませんが、
もう、毛が長くなって抜けどきなのに、
「はーい!異常なーっし!」
とか言ってね。
スルーしとるんですわ。

最近は、本来、産毛のような柔かーい毛を生やさなきゃだめなところに、
「おい!この毛は眉毛やまつげで使う太いタイプのやつやで!」
みたいな毛を生やしたりしてますしね。

こうやって、髪の毛を黒くする担当のおっさんや、
鼻毛の伸び方担当のおっさんたちが、
どんどん仕事ぶりがダメダメになっていって老けていくんやろうねぇ〜。
って思ったりしております。

 

ま、そんなわけでおはようございます。
タクさんです。

皆さま素敵なヘアーライフをお過ごしでしょうか?

ま、この担当制の話はずいぶん前にも書いたんですけどねー。
心もね。
いろんな働きがあったりする訳です。

例えば、
寝る前は歯を磨かなければならない!って思ってる自分もいて、
でも、今日は眠くてめんどくさい。って思ってる自分もいる訳ですね。

歯磨き担当のおっさんは、寝る前にはちゃんと歯を磨かなきゃ虫歯になるぜ!と歯を磨こうとしますし、
眠いときは早く休もうぜ!担当のおっさんは、とにかく早く寝ようとするわけです。

ま、そんな風にいろんな働きがあるわけですが、どれかの働きにペタッと同化した時に、そこからストーリーが頭の中で展開されるんですよね。

そして、ストーリーには主人公が必要になりますので、そこで自分という観念が登場するわけです。
そして、そのストーリーの中の自分を実在する自分として扱ってるんです。

なのでねぇ。
人にあなたは真面目ですねー。
とか言われたとしても、
自分では自分がどんな人なのか?ってなかなかわからなかったりしますよね。

真面目な自分もいるし、サボりの自分もいる。
優しい自分もいれば、冷たい自分もいる。

ってねぇ。
いろんな自分がいるので、どれが自分なのか?ってのは、なかなか断定しづらかったりするわけです。

でも、そういったいろんな働きがあるのが自然ですのでね。
そして、どの働きも、別に自分だというわけじゃないんですよね。

そして、
歯を磨くか、このまま寝るか?
みたいにね。
働き同士が葛藤した時に、どちらの自分を選べばいいのか?
と悩む自分も登場しちゃったりするわけです。

ま、普通は
「そんなに沢山の自分がいるのっておかしいやーん。」
「それ、無理やりいろんな働きに「自分」っていう観念をくっつけてるだけやーん。」
「しかも、どれが真の自分なのか?ってこともわかってないやーん。」

ってね。冷静に考えるとおかしさがもうバレバレなんですが、
何故か自分という一人の人間がいる。
と信じて疑わなかったりもするんですよね。

いろんな自分がいる様に見えて、実はそれは単に働きに後付けで「自分」をつけただけ。
ストーリーを展開するのに必要だから、「自分」という観念を作ってるだけ〜。
ってね。
そこが見抜かれちゃいますと、ストーリーは展開する原動力を失うんです。
主役がいないから。

そして、ストーリーが止まっちゃうと、
あらゆる悩みもそのストーリーの中にしか無かったことも明らかになっちゃうんですよねん。

もちろん、その後もストーリーは人の特性として起こり続けるかもしれません。
でも、それはすでに見抜かれたストーリーとして展開されていくんです。

ストーリーの中身には、真実性はありませんが、ストーリー自体は真実の中で展開されているんですよねん。

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