Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「生きる」を思い出す時

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どーも。
貧乏性のタクさんです。
おはようございます。

いやまぁ、生きてますとねぇー。
いろいろと面倒なことも起こるもんですよねー。

うん。こまかいことはわかりませんけど、わかりますよ。
僕だってありますし、、、。
面倒ごとを避けてると人生始まりませんもんねぇー。

でもね。
うーん。。。と悩む前に、ちょっと面白がる余裕も欲しいもんですよね。

 

へぇー。こんなことも起こるんだー。
みたいな感じでね。ちょっと面白がって見るんです。

すると多少は悩み事も面白おかしく捉えられるかもしれません。

ま、絶賛悩み中っていう場合は、
うるさいボケー!そんな能天気でいられるかー!
ってなっちゃうもんですけどね。
そうなって当然です。

ジャン・ド・ラ・プリュイエールというフランスの作家の言葉にこんな言葉があります。

ーー
人間には3つのことしか起きない。
それは
「生まれる」
「生きる」
「死ぬ」である。

生まれたことは覚えていない。
死ぬことは怖い。
そして、生きることは忘れている。
ーー

ってねー。
まあ、この言葉がどんな経緯で語られたのか走りませんが、
覚えてないことと忘れてることを抜いたら、怖いしか残ってないやないか!
ってなりますねぇ。

そんな〜!
怖いしかないなんて、殺生な〜!

って感じですが、
まあ、悩みも怖さから生じているわけですね。

で、その怖さは死ぬことの恐怖から来ておるわけです。

ま、人の本能として、生きてるうちは死ぬことを恐れるってのはもうセットになっておるんですよね。

そこに自分という観念を引っ付けちゃうと、
なんていうか、妙な重さ、深刻さがのしかかってくるんですが、
そこから自分という観念が消えると、面白いことに、この恐怖もまた愛らしく、面白く、感じられたりするんですよね。
もちろん、ちゃんと怖がったり悲しんだり怒ったりはするんですよ。
でも、同時にそれを愛らしく、面白くみてたりもするんです。

愛らしく、面白く、見えると同時に、湧き上がるものになんていうか、イノチの感覚も感じられるんですよねー。
ワクワク感って感じかもしれません。

ワクワク感は子供だけのものじゃないんですよね。
大人になっても、じいちゃんになってもワクワクしていいんです。

そして、そのワクワクに理由はいらないんです。

ワクワクしてるじいちゃんはめちゃくちゃカッコイイですからねー。
そして、そのワクワクが忘れていた「生きる」を思い出すきっかけになるんですよね。

忘れていた「生きる」を思い出した時、
覚えていない「生まれた」も、怖がっている「死」も、
その経験者はどこにもいないってことに気づいちゃうのかもしれません。

どこにもいないってのは、無いと同じことやーんって笑っちゃうんです。

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