【なぜ思考は私を苦しめるのか?】
ほーい。
おはようございます。
タクさんです。
今日は、Twitterの方にいただいた質問にお答えしていきたいと思います。
僕は、Twitterの方に、質問箱というものを設けておりましねー。
そちらの方にいただいた質問です。
ちなみに、Twitterにいただく質問は、一言二言の内容はそのままお返ししますが、
ちょっとこの内容は長くなるなぁ〜。という場合は、ブログの方で取り上げさせていただこうかなーと思っておりますので、よかったら、奮ってご質問くださいませ。
ただ、Twitterの質問は全てお答えするということはないので、そこだけご了承くださいまし。
セッションを受けられた方については、質問は必ずお返ししております!
もしまだだよーって方がおられたら、その旨連絡ください。こちらのミスで漏れているかもしれません。
というわけで、いただいた質問は、
「思考は自分じゃないのに、なぜ私を苦しめるんですか?」
という質問です。
これねー。
ちょっと、一言でお答えするには、ちょっと難しいですのでねー。
まず思考とはどういうものか?そして苦しみとはなんなのか?
みたいなお話をしなきゃなりませんのでねー。
ブログの方で取り上げさせていただきました。
ご質問ありがとうございます!
【思考とは解釈である】
まず、思考というのは、真実とはちがってあくまでも解釈なんですね。
あらゆることに後付けで解釈が加わっているもの。
これが思考です。
バーって雨が降ってきて濡れたとします。
起こっているのは濡れたというこの言葉以前の体験であって、ここに言葉は存在しません。
ですが思考は、濡れたと認識し、濡れたのは雨が降ってきたからだ!という解釈を加えるわけです。
またこの解釈というのは、単なる認識だけではなく、時にもっと解釈を膨らませたりするんですよね。
そして、この膨らんだ解釈に僕らはハマり混むんです。
ちなみにこの解釈は、基本的に感情や気分に添うように行われます。
「ああ、雨に降られるだなんて、ちゃんと天気予報をチェックしなかった私が悪い。」
とか、
「なぜ肝心な時に私は雨に降られてしまうのか。これは運命なのか?」
みたいにね。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、その時の気分や感情によって、様々な解釈がなされるわけです。
【解釈とはストーリーである】
でね。この解釈というのが、ストーリーなんです。
ストーリーっていうのはお話ですよね。
お話というのは、こんなことがあったから、こうなりました。
そして、こうなったことが原因であんな結果になりました。
みたいなね。
原因と結果というもので作られているんです。
そして、ストーリーには主体と客体がなければ始まりませんからね。
自分という概念も、このストーリーを頭の中で働かせている間だけ現れているんです。
つまり、原因と結果や自分というのはストーリーを働かせている間だけ、そのストーリーを補完するための概念として使われている。
というわけです。
ちょっとややこしいですかねぇ。
つまり、頭の中であれこれとおしゃべりを展開させているのが、思考であって、これをやっている間だけ、自分がいるように感じているだけだよ!ということですね。
ドラえもんを見ている間だけ、もしくは、ドラえもんのことを考えている間だけ、
ドラえもんが存在している。
というのに近い感じです。
つまりねー。
思考は自分じゃないというのは、思考の中だけでしか、自分という概念を使っていないということでもあります。
自分が思考をしているのではなくて、思考のストーリーの中に自分という概念があるということですね。
【思考は働きである】
そしてその思考はあくまで働きなんです。
走っている間だけしか、走っているがない。というのと同じで、
思考を働かせている間だけしか、自分や理由というものはない。
ということですね。
というわけで、思考は働かせている間しか存在しないし、存在しているのかどうか?というのも怪しいもので、これって、お話をしている間、その話があるように感じている。
と言った感じなんですよね。
映画を見ている間だけ、その映画の世界があるように感じている。
というのと近いのかもしれません。
つまり、実体はないんです。
また、この思考のストーリーは、後付けの解釈であるということです。
ここを踏まえて、ではなぜ思考は私を苦しめるのか?
ということに続けていきたいのですが、ちょっと長くなってきましたので、続きは明日にさせていただきまっす!
ではでは!またあした〜♪
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