Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

判断やストーリーをおいておくという事。

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判断やストーリーを置いておくと、そのまんまが残ります。
ってねー。
ゆーてますけど。

ここがちょっと難しく感じる方もおられると思うんです。

このストーリーがホントにどうでもいい事だったら、
置いておく事はカンタンなんだと思いますが、
とても大変な事であればあるほど、置いておくのは難しく感じるんです。

実はストーリーには、価値の差って無いんですね。
なのに、どうでもいい事と大変な事に分かれるのは、
その奥にある判断の恐怖度合いによって変わってるように見えるんです。

恐怖が少ないストーリーは比較的簡単に置いておけると思いますが、
恐怖が強い判断に伴うストーリーは置いておけと言われても
「それどころじゃ無いっ!」
ってなるんですよね。

 

置いておくことが難しい。というのは、置いておくなんてとんでもない!
という思いがあるからでもあります。

つまり、置いておけない、捨て置けないことがあるというわけです。
「そこにあるのは許せない。」
というわけですねー。

なぜ許せないのか?っていうところをずーっと奥深く見ていきますとね。
どこかで恐怖に行き着くと思うんです。

その恐怖は、そのまま、恐怖として現れる場合もあれば、
不安として現れる場合もあります。
そして、悲しみとなって現れることもあれば、
怒りとなって現れることもあるんです。

そんな、様々な現れ方をする恐怖も、色々な種類あるように見えて、
その正体は一つなんです。
この恐怖の元をずーっと探っていきますと、
「自分を損なうことへの恐怖」へと行き着くんですよね。

このね。
損なうって思ってる「自分」がねー。
実は探してみてもどこにもいないんですよね。
あるように見えて、
「じゃあ、自分ってどこにあるの?」
って問われますと、
「???」
この身体かなぁ、、、でも身体のどこの部分か?と言われるとわからない。。。
ってなるんですよね。
だって、身体は一部分では成り立ちませんし、そもそも自分というのは臓器の一つではありませんしねぇ。
身体は全体をひとまとめに自分だとしても、空気を始め、ありとあらゆるものが身体の中と外を行き来していて、身体を構成するあらゆる細胞も常に生まれては消えてを繰り返しているわけですからねぇー。

この仕組みを自分なんだと定義づけようとしても、
その働きを指示したこともなけりゃコントロールしたこともないんですよね。

さらには、自分の身体を含めて起こる働きの仕組みはどこかで線引きされるようなものでもなく、太陽の光から体にかかる地球や月の重力、地球は宇宙の影響を受け成り立っていて、、、と、どこにも区切る線はないんです。

つまり、「自分」とは作られた概念なんですね。

そして、僕らはこの実際には無い概念を掴み取ることによって、恐怖と戦ってたりするわけなんです。

もちろん、この恐怖が起こるのもまた仕組み上必要なことですので、無くなりはしません。
ただ、その仕組みに気づいちゃうこと。
それが大笑いの入り口なんです。

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