Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

神はあなたの中にある???

f:id:takuteto:20171216232056j:plain

あーなーたーはー?
神をしんじますかー?

はい。
おはようございます。
無神論者のタクさんです。

あ、もちろん個別の存在としての神さんっていうだれかがいるのか?
っていうと、いやー会ったことないわぁーってことですのでねー。

そういう意味では無神論者ってことです。

神だろうが、宇宙意識だろうが、呼び方は何でもいいですが、
あるのは「すべて」だけです。

だって「すべて」ですからね。

そしてその「すべて」は分割されてません。

だって「すべて」ですから!!

そんな中で分割されてると思い込んでいる間だけ、分離の夢を観るわけですね。
そして、その夢の景色と、「すべて」の景色は全く同じなんです。

解釈というメガネを通して見るかどうかの違いだけしかないんですよね。
そして、その解釈が分離を生じさせておるっちゅうわけです。

 

さて、
僕らがショックを受けるときってどんなときでしょう?

自分に足りないものがあると感じたとき。
自分が愛されていないと感じたとき。
そして、
自分の死を感じたとき。

このあたりが、多分ショックを感じる3大要素だとおもうんですよねー。

他にもショックを受けることはいろいろとあるでしょうけど、元を探っていくと、
大体はこの3つにたどりつくんじゃないかな?って思います。

でね。
ショックを感じたところで、どうしようもない。。。
なーんて思っちゃって、それを心の奥に押し込めちゃうんですね。

なんか、そんなことを繰り返すうちに、奥の方に押し込んだものがどんどん溜まっていって、、、

それが、何かのトリガーによって蘇ったときに、僕らはツラさを感じたりするわけです。

でね。

なんで
足りないものがあると感じたときや、
愛されてないと感じたときや、
死を感じたときに、
僕らはショックを感じるのか?

ってことなんですけどね。

これ、
ちょっとウケるんですけど、
本来の僕らってちゃんと知ってるからなんですよね。

何を知ってるのかと言いますと、

足りないものなんて無いってこと。
全ては愛でしかないってこと。
そして、ぼくらは生まれたことも死んだこともないってことです。

それを最初っから知ってるから、ショックを受けとるんです。

したり顔で、人は必ず死ぬよねー。とか言いながら、
同時に、
人は死なないことを知ってるからこそ、やっぱりショックを受けるんですねー。

確かに全ては常に姿を変え続けます。
それが諸行無常っちゅうもんです。
それは、僕らの身体だって例外じゃありません。

でも、身体の中のどこを探しても、自分はいないんですよね。
なのに、僕らは身体が自分だと思っているわけです。
だから、身体が朽ちるのは自分が朽ちることなんだと思ってるんです。

ほんでショックを受けちゃうんですよねー。

でも、そのショックの奥で死がないことを知っていて、
知っているからこそ、その知っていることを自分という観念の中に持ってくることで、
ショックを受けるっていうね。

ちょっとややこしいですね。

よく神はあなたの中にいる。
なんて表現があったりしますが、

その神というのは、このことを知っている者。
それがあなたの中の神であり、あなた自身でもあるという事です。

そして、その神が「すべて」なんです。

この知を自分という観念の中に押し込めた時、そこで無理が生じているわけです。
「すべて」を分割された観念の中に押し込めちゃってますからねー。

無理が生じるのも仕方がないんです。

でも、実際に押し込めてるわけでもなく、イメージの中で押し込めてるだけですのでね。

実害があるわけでもないんです。

なので、「すべて」が影響を受けてるというわけでもないんですよねん。

どんな思いにさいなまされていたとしても、
すべては影響を受けることもなく、そのまんまの愛と完璧さを
淡々と表現しているんです。

▼facebookページはこちら。毎日ひとことアップ中!
もしよろしければ、「いいね」をして、フォローをお願いします。
質問などがありましたら、facebookのメッセージからどうぞです〜。