Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

才能を発揮するということ。

f:id:takuteto:20180324004912j:plain

才能って、その分野について実力がある、秀でているっていう風に思いがちですよねぇ。

でね、自分は本質的にどんな才能を持ってるんだろう?
なーんてね。
気になったりしますよね。

そういうのを
性格診断をしたり、きき脳のような考え方のクセから、
診断したりする。なんて方法も流行ってたりするんですけどね。

そういうのは、とっても良いと思うんですけど、
ここで、やってることって結局のところ、
「自分が好きなのはなぁに?」
っていうのを探しとるのとおんなじことなんとちゃうかな?なんて思うんですよね。

ということは、才能っていうのは、ほっといてもやってしまう自分の好きなことやということになりますね。

好きなことでも、あまり秀でてないんですけど、、、。
なんて思うこともあるかもしれませんが、そういうのは気にしなくてもいいんやなかろうか?
って思います。

好きなことを誰かと比較するのって無意味だと思うし、
それを誰かより、うまくやらなきゃいけないわけでもなく、
それで金を稼がなきゃならないというわけでもないですからねー。

ただ、やってたらほっておいても詳しくなるし、うまくなるんですよね。
なので上手い下手は全く気にする必要はないんですよね。

なので、好きなことやって、そのことを発信しとったら勝手に良い感じにつながってくるんとちゃうかなー。って思います。

いくらラーメン作りが芸術的と言われるくらい上手でも、
しかめっ面でイヤイヤやってる店主のお店よりは、

丁寧でかつ、
わし、ラーメン好きやわ〜!!
って嬉々としてる店主のお店の方が通ってみたくなりますもんねぇ。

 

さて、
もうそうなると、ますます好きなことをオモロくやってたら良いってことになりますし、
好きなことをオモロくやるっていうのは、世のため人のためのことでもあるんです。

僕らは才能をどんどん遠慮なく表出させてあげることによって、みんなも幸せになるんです。
楽しいことやってりゃ周りも幸せになりますのでね。
やってる自分もオモロく楽しいし、それを見る人もまた楽しくなってくるっていう寸法です。

なのでもう、遠慮なく自分の才能を発揮してあげたら良いんです。

好きなことに割く時間をちょっとずつでも増やしていけば良いんです。

そのことが、誰かに役に立つように思えないことでも全然オッケーですし、
お金が稼げるように思えないことでも全然オッケーですし、
マニアックすぎることでも全然オッケーなわけです。

そもそもね。
誰かの役に立つ方が、お金が儲かる方が、みんなに支持されるようなことの方が価値があるなんてことはないんですよねー。

そこに価値の差はなく、
価値があるのだとすれば、それは楽しんでおるかどうか?
オモロイを素直に表出させておるかどうか?

そこだけなんです。

オモロイを素直に表出させてなけりゃ楽しさは半減しちゃいますのでねー。

素直に表出させてあげるっていうのは、
あれこれと判断を加える必要はないっていうことですね。

オモロイことが恥ずかしかったり、マニアックだったり、
誰かに反対されそうだったり、叩かれそうだったり、

そういった判断で曇らせなくてええねん!
っていうことなんです。

この判断のいうことをいちいち聞いてますと、オモロイことが怖いことのように見えたりするんですよねー。

なので、出てくるオモロイに無条件でのっかってることがねー。
才能を発揮するということであり、
そうやって楽しんでいることが、世のためにもなる!っちゅう事ですね。

▼facebookページはこちら。毎日ひとことアップ中!
もしよろしければ、「いいね」をして、フォローをお願いします。
質問などがありましたら、facebookのメッセージからどうぞです〜。