おはようございます。
子供の頃はキン肉マンに夢中だったタクさんです。
いやぁー。
キン肉マン。
好きでしたねー。
なんであんなものを、、、。なーんて思うんですがねー。
ラーメンマンとかねぇ。
名前も変ですし、おでこに「中」とか変なマークついてるし、
ニョーンってした長いカオの変なヘアスタイルオッさんがねー。
もう本気でカッコイイって思ってましたもん。
ま、今でもカッコいいって思ってるんですけどね。
あんな変なものをかっこよくさせる説得力ってすごいもんだなぁ。
なんて思います。
さて、
やっぱりキン肉マンといえば、キン消しです。
小さなゴム人形です。消しゴムとしては使えないんですけどね。
あれも必死で集めてました。
僕は子供の頃は、
親の転勤が多くてよく引越ししてたんですけどねー。
うちの親父が意地悪でねぇー。
引っ越しのたびに、
「こんなもん捨てろっ!」ってオモチャを捨てられるんですよ。
目を離してるすきにねー。
いまだにお気に入りのキン消しの「ザ・ニンジャ」を捨てられた悔しさを覚えてますからねー。
三つ子の魂百まで。
とはよくいったものです。
さて、
なにも今日はキン消しの話をしたいわけじゃなかったんですけど、
キン消し遊びっていうのは、
両手に人形を持って、バシューンどかーんっ!
っていって遊ぶわけなんですけどね。
結構僕らの悩みや不安。
そして、人生との戦いもねー。
このキン消し遊びと同じようなものだったりしてね。
右手に持ったキン消しが自分だとしたら、左手に持ったキン消しが自分の敵となるわけです。
ありとあらゆるクリアしなきゃいけない条件を自分に課し、
その条件に沿わない敵が生じてくるわけです。
なーんもなかった中にあら不思議。
条件をつけることによって戦うべき何か。
クリアすべき壁。
乗り越えるべきあらゆるハードルに、
到達すべきゴールが出来上がってくるんです。
それを生じさせる元になっていたのが、
右手と左手に持ったキン消し。。。
じゃなくて、分離感なんです。
キン消し遊び(分離からくる物語)に夢中になりすぎる程に、
リアリティが増していき、
そのリアリティにいつしか絡め取られちゃうんですねー。
すると、今度はそのリアリティから脱却すべきだという条件も出てきちゃったりして、
もがけばもがくほど、ありとあらゆる条件に絡め取られたりするわけです。
ぎゅっと握っている手の力を弱めてみると、
握っていたキン消しが手から離れ、
あ、ワシは自分が作った条件で遊んでたんやった!
なーんてことが思い出されたりするかもしれませんね。
それを知ってこそ、やっと本当の意味でのキン消し遊び(人生の醍醐味)がはじまる。
とも言えるかも知れませんねー。
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