Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

瞑想、それは探求エネルギーダイエット。

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瞑想の先に「それ」が在るわけでは無いんですよー。

瞑想中に何かしらの覚醒体験みたいなものがあって、悟りに至る。
っていうのは、物語ですのでねー。

みたいな事を結構書いてたりするわけですが、僕、結構何年も瞑想してたんですよねー。で、その先にがっつり悟りがあるんや!解放があるんや!って思ってたりしてたわけです。
結構ハマってた時もあって、二、三日、ご飯とトイレ以外はずっと瞑想、その間一言も喋らない。
みたいな事をやったことも何度かありました。

基本的に人って自身の中のイメージを世界化して見ておりますので、その外部の情報を遮断して自分の内側だけに向き合う。
なんて事をしてましたら、やっぱりいろんなイメージを見ることもあるんですよね。
基本的にそのイメージはリアリティを含みますので、体験!になったりもするんです。

これは夢と同じようなもんですね。現実だって、脳内イメージをリアル化しているという部分では夢と似たようなもんです。

瞑想中に起こる事を分析して、自分が掴み取っている執着に気づくなんてことも色々とデータがあって出来ると思うんですが、それは別に瞑想中に限らず、現実で何にこだわってるのか?何が怖いのか?を見てみるのも、夢を分析してみるのも同じようなもんです。

また、瞑想って言ってもいろんな人がいろんな定義を当てはめてたりしますからね〜。一言で瞑想と言ってもいろんな定義があるんでしょうね。

oshoさんなんかは、瞑想を「それそのもの」として表現しているように感じます。
あまり詳しくないので知りませんけど、、、。

それ以外にも、偉大なるマスターから語り継がれた伝統の技法としている人もいますし、
メンタルマネージメントといったような定義をしてはる人もいますしねー。

 

ま、僕としては瞑想にややこしいごたくはイランやろ。
って思ってます。

単なるリラックス。
それでええやん。
というスタンスです。

リラックスに期待はイランやろー。
とも思っています。

そういう意味では、僕は今でもしょっちゅう瞑想をしております。
とはいっても、足を組んで目をつぶってというわけじゃ無く、
単にリラックスしてるだけですけどね。
するというよりは、起こってくるリラックスに身を任せてるという方が近いんですけど。

言葉や思考が起こるに任せて、ほっておいているうちに、
様々に諸行無常している世界の動きが、動いたままに静止する。
分離なく、全部が全部として喜びが静止のなかで表現される。

そこに足すものも引かれるものもなく、ありとあらゆることが、
すでに「それそのもの」。。。

そんな感じです。

ま、ややこしい言葉は置いておいて、
わからんままでいてみるっちゅう感じですね。

わからんままでいようとしますとね、
なにやら分かろう、つかもう!とするエネルギーが感じられるんです。

そのエネルギーがいわゆる探究のエネルギーな訳ですが、
ほんとはそこに何かしらの力学が働いてるわけでもないんですよねー。

エネルギーでありながら、実はなんの動力ももってないんです。
避けられない何かしらの動きがあるように見えるのも
錯覚のようなものなんですよね。

この錯覚を維持するためには常にこの探求に燃料を与え続けなきゃなりません。
その燃料が、コンセプトであったり、物語だったりするわけです。

そのまんま、わからんままでいる。っていうのはね。

探求に燃料を与えずにほっておいてみる。
ということなんです。

僕がオススメする瞑想法があるとしたら、
わからんままでいてみる瞑想をオススメします。

わからんままでいてみると湧いてくる思いや感情や身体の感覚さえも、
わからんままに置いておく。

って感じです。

そうしてますと、探求は燃料が続かずに、行き場を失っていきます。

そこに対しても、なんの期待もしなくていいですし、なんなら探求が起こるのも、全然オッケー!てな感じで受け入れてあげたらいいんです。

瞑想とはそんなリラックスだと思うんですよね。
探求を追い出すわけじゃ無く、そのまんま起こらせてあげとく。
みたいな感じのリラックスです。

リラックスは、やるもんでも期待するもんでもないって感じで。

思考や感情を締め出すでもなく、探求を追いやるわけでもなく、
そのまんまにしてますとね。

あ、それって、今まで通り感情や思考が起こっては消えていくのと変わりないやん!

わしゃ、何にこだわってたんやろう?
私が消えるのを期待してたんか?何かしらの体験を期待してたんか?
それも単に起こっては消えていくもんでしかないのに、、、。

あれ、今まで通りで何も変わってないのに、今まで通りで良い!し、それで完璧やん!
しかも完璧に理由すら必要ないんやん!

かーっ!なんていうパラドックスなんや!

ってねー、リラックスと理解がやってきてくれるんですよね。

リラックスに何かしらの効果を期待をする必要もなけりゃ、リラックスするために解消しなきゃならないカルマやら思考があるわけでもなかったんです。

逆にそんなもんがあるといったコンセプトが探求の燃料になっておったんですね。

探求のエサっちゅうやつですね。

 

瞑想は誰かに授けてもらうもんでも、教わるもんでもないんです。

何かをプラスするでも無く、マイナスしていくでも無く、
何かを追いやるでもなく、何かを解消するでも無く、今まで通りをそのままにしておく。
何かをするでも無く、
そして、何もしないようにするでもないんですね。

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