明け渡し。
それはもう流れに任せ切る!
みたいなもんとも言えるかもしれません。
そう
「神よ!どうぞ私の人生、そして私の身体をご自由にお使いください!」
と宣言するようなもの。
ただね。
ここでちょっと誤解をしないでほしいわけです。
あなたが、明け渡す側じゃないっちゅうことです。
この宣言は、思い出すための方便やったんです。
ほえ???
どーゆーこと?
と言うことを今日は書いていきたいと思います。
はいっ!
はいっはいっはい!!!
おはようございます。
タクさんです。
「神よ!どうぞ私の人生、そして私の身体をご自由にお使いください!」
これが明け渡しじゃないのん?
明け渡す側は私じゃない??
どゆこと?
ってなられるかたもおられるかもしれません。
じつは明け渡しというのは、自由ということなんです。
アホか!
さっぱりわからんわ!
というお声をいただきそうなので、もう少し話を進めていきます。
まあ確かに自由にお使いください!
なんて言っちゃうのはちょっと勇気がいりますよねぇ。
ちょっと試しに宣言してみてください。
「神よ!どうぞ私の人生、そして私の身体をご自由にお使いください!」
すると、
あ、でも、あの娘に変なこと言うのは禁止な!
あと、街の中でアホみたいなことするのも勘弁ね!
あとは、この自分のアホさについては、なるべく公の場では隠しておいてほしいかな。
あと、ホントに明け渡して自由に使ってもらうようにすると上手くいくんやろうねぇ。できれば保証となる何かが欲しいんやけど、、、。
あとは、、、。
といろいろと思い浮かぶことがあるかもしれません。
この思いは、今、頭の中を駆け巡ってる単なるイメージですので、
おいておきましょう。
思考を一切参照せず、もっかい宣言してみましょ。
「神よ!どうぞ私の人生、そして私の身体をご自由にお使いください!」
どうです?
一切の思いを抱くことなく、この宣言をした時、何か聞こえませんでしたか?
多分、いや、きっと、
当然のことながら、
「神よ!どうぞ私の人生、そして私の身体をご自由にお使いください!」
って聞こえたんとちゃいますやろか?
その言葉を聞いたのは誰でしょう?
神はいつも見守っていてくださっている。
その、見守っていたのは誰でしょう?
「え?????」
「わ、、、、わし????」
そうなんです。
あなたなんです。
今までいろんな想いや感情を見守って来たのもあなたですよねぇ?
時には自分らしくないなぁと思いつつ演じていた自分のことだって見てたはずです。
あんた、神とか呼ばれてまっせ、あんたの中で作られたあんたに。。。
っちゅうことになりますね。
「でも、わし、お使いくださいって言われる前から使ってましたけど?」
そうなんです。
すでに使とったんです。
もっと厳密にいうと、
思考は一切置いておいたままなので、自分という観念もそこにはありませんね。
となると、なんでもないものの中で思考が現れ、
それを見守り、それを演じてたんです。
そして自分という観念を何にもない中で、中心に据えていたんですね。
もちろん、自分という観念という実体はありませんよね?
見せることもできませんし。
でも、みんなの共通認識としてそういうことにしときましょ。
ということで、そうルールづけられておっただけなんです。
そして、その自分が、何者かのように演じておったわけです。
あなたは何者でもありません。
それは、何者か?なんていう小さなシガラミに入っちゃうようなものじゃないということです。
社会的な役割、性別に囚われるようなものではありませんし、時間的な制約も受けないんです。
広大で、全てです。
そのことへの目覚めが「それそのもの」への回帰なんですよねん。
演じられるのは、思考とそこに現れる頭の中の言葉が紡がれている間だけです。
言葉が紡がれているというのは、文字通り、物語と同様なんです。
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