Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

強迫観念を思いっきりスルーしたるねん!

f:id:takuteto:20170902000526j:plain

ここで書かれてる話は別に自分がどうにかなるっていう話やありません。

なんていうか、
普通にスタスタと歩いていながら、頭のイメージの中では、
なぜか杖をついて歩いている気になっている。

そして、歩くには常に一緒に杖を出さなきゃコケてしまう!
って思いながら一歩一歩、歩いているように思っている。

そして、もしそうなら、それって誤解でっせー。

普通に杖なしで歩けてますよー!

ってね。

そういった、当たり前のことを言ってるだけの話やったりするんです。

 

ここでいう杖というのがね。
なんていうか強迫観念に対する準備みたいなもんです。

何となくある恐れという観念。
この観念に対して、常に何か対処法を準備しておこうとしてたりするんですよね。
そして、その準備なしにはとんでも無いことになる。なんて思ってたりもするわけです。

これが強迫観念のようなもんになってるんですねー。
その観念が強ければ強いほど、しんどくなるわけです。

そして、常に準備のことを考えていながら、
実は今は普通にスタスタと歩いてたりしておりまして、、、。

準備したことを今使うんとちゃうのん?
って突っ込みたくなるわけですけど、

今は別の準備に忙しくてもう忘れてる。

みたいなね。

杖をどうやってつきながら歩こうかと考えながら
スタスタと歩いてる。

でも、頭の中では杖なしではえらいことになるで!と思い込んでいる。

みたいなね。
そんな感じなんです。

実はもうすでにスタスタと歩いてますのでね。
別段、何かが変わることはないんですよね。

なので、自分がどうにかなるという話ではないわけなんです。
何にも変わらないわけですが、深刻さは減っていきます。

それは、杖なしですでに歩いておったことを知るからですね。

ただ、減るとは言っても起こることは起こります。

それは、常に準備しておこうとする起こりもまた自然現象の一つだからです。

言い換えると、生理現象のようなもんです。

トイレに行こうとすることは起こるでしょうけど、
「やだっ!私またトイレなんかに行きたくなって、、、。」
もうアタシったら、フ・ケ・ツ!!!

なんてねー。
そんな自己矛盾的な思い込みに悩まされなくなるってだけなんです。

なのでね。
ああ、また自我のカルマが残っておる!
この一切を浄化し、常に全てに溶け込まねば!
だって全ては幻想、な〜のだから〜!

ってねー。
そういう思いもまた物語の一部ですんでね。

トイレに行こうとする自分に罪悪感を持つみたいなもんなんですよねん。

▼facebookページはこちら。毎日ひとことアップ中!
もしよろしければ、「いいね」をして、フォローをお願いします