Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

非二元の話を聞く時のコツ

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「わたしには他の人には見えないものが見えます。」
とか言うのってね、それ観念を多く背負ってるだけですのでねー。
みーんなね。イメージの作り方にはクセがあるもんです。

なんか真理を知ってそうな先生の話なんかを聴いてたらね。
時にふと、
あの人はわたしが知らない何かを知ってるんだろうなぁー。
なーんて思っちゃいがちですよね。

だから、それを知りたくて話を聴きに来とるねん!
ってことですからねぇ。

 

もちろんそれが英会話スクールなら、
その先生は英語のルールをよく知ってますから、そのルールを教えて貰えば良いわけです。
僕らはいろんなルールを学ぶことによって、より色々な色付けを楽しめるわけですからね。
だから、あやとり教室でもスピリチュアルなワークでもなんでも楽しげな色付けを遊べば良いんですけどねー。

非二元とか分離のなさについての話の場合はね。
先生はわたしが知らないことを知っている。っていう事じゃありません。

なので、こういう話を聞く場合は、知らないことを教えてもらおう。
なんとか身につけようとするよりは、
それよりもあの人は何を掴んでないのか?という部分を注目してみたら良いと思うんです。

僕らは常に何かしらの観念を拠り所にしておかなきゃ始まらない。
といった誤解をしてたりします。
だから、自分の拠り所となっている観念をより強固にしていきたい。と願うんですよね。
これは、自分が杖なしでは立てないと思い込んでいるようなものなんです。
ほんとは杖がなくてもちゃんと立てるんだけど、そうすることに慣れてなくて、怖く感じているんです。

この杖が、観念。つまり考え方のようなものなんですねー。

そしてここでは、杖が無くても立てまっせ!ってことを言ってるんです。
つまり、観念を拠り所にしなくても、やっていけますよん。
そもそも観念は元々あったイノチより後から出てきたものですから。
ってことなんです。

僕らは拠り所となる観念でもってイノチをうまく管理運営し、守ろうとしてますが、それらの観念が出てくる以前からイノチは完璧に表現されていて、観念もその一部ですからねー。

ま、時間という概念もまた観念の中にしかないものですので、観念が出てくる以前というものもないんですけどね。

と、言うわけで、
知らない何かを知るんじゃなくて、わからんままでも良いんだー!という気付きなんです。

元々あるものに気づくから、「気づき」であって、
観念が作る世界の夢から覚めるから「目覚め」なんです。
何か知らないことを知るわけじゃないんですよね。

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