何もなさが在る。
って、
なんやねーん!!!
と、いうわけでおはようございます。タクさんです。
何もなさがある。ってねー。
どうにもわかりにくい表現ですよね~。
今日はこの言葉をテーマに書いてみたいと思いますよ〜!
なんにもなさが在る。
うーむ。
なんともつかみにくい言葉でございますね。
僕らってね。
何でもかんでも頭で理解したがるんですよね。
そして理解するためには「なんにもなさ」だと困るわけです。
だって、掴みようがないですからね。
・・・つまり、これはこういうことか。。。ふむふむナルホド。。。
ってね、
理解をしなきゃ掴めないわけなんですよね。
ほら、
よく「幻想です」
なんて言われてるじゃないですか。
僕も言ってますけど。
「幻想」と聞くと、
幻想さを頭のなかでまた、イメージしちゃうわけですよね。
で、これを理解に落とし込むと、
この痛みはウソ。
このカラダもウソ。
あそこに見える車もウソ。
みたいにね。
そんな理解を掴んじゃったりしがちなんですけど、
そういうことじゃないんですよね〜。
頭で理解する。っていうことは、
つまり、
頭のなかでイメージを作ってるわけじゃないですか。
このイメージは、あくまでも頭の中のイメージですよねぇ??
実体は無いわけですよね。イメージの中には。
だからといって、目の前のコップ(のように見える何か)は有るわけですよね。
コップ自体がそのまま無いわけではないんです。
そのコップを見て、頭のなかで作られてるイメージ。
このイメージの部分だけが「幻想」だというわけなんですよね。
悟ると何やら不安や苦労がなくなる。
といったのもイメージですし、
苦からの解放が「自分に」起こる!
っていうのもイメージなわけです。
このイメージが「幻想」なんですよねー。
そして、自分という中心点。
こいつもイメージなわけなんです。
このイメージが、これは何で、それは何。
って決めてるわけなんです。
頭の中でね。
この「頭」ってのもイメージの中の概念ですからややこしいですね。
このややこしさが言葉では表現できないっていう所以(ゆえん)ですね。
なぜなら、言葉ってのは本来は意味のない音なわけです。
それに意味づけをしていますが、この意味付けもイメージの中で行われていることですのでねー。
自分という中心点があると、この中心点を確立するために、中心とそれ以外を決めておかなきゃいけません。
自分の内と外ですね。
これがないと、自分が確立できませんのでね。
こういった「確立された自分」というのもイメージの中で作られています。
で、分離がイメージの中で生まれるわけでして、この分離が何かを掴まないと理解できない!
といった信念を持っとるんですよね。
「なんにもなさ」とはこうやって作られるイメージを取り除いたそのまんまのことです。
この「なんにもなさ」の中で、イメージが起こってるわけですね。
イメージには実体はありませんので、ホントのところは、
「なんにもなさが在る」だけ。
ということなんですよねん。
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