Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

幸せってなんやねん!

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幸せの青い鳥をさがしてみたが、結局は自分のところにいた。
みたいなおはなしがありますよねぇ。

いや、
僕は読んでないからよくは知らないんですけどね。
どっかで聞いたことがあるくらいで、、、

でも、幸せは自分の足元にあるっていうのは、
そうよねぇ〜。

って思ったりもします。

じゃあ、幸せってなんやねん!ってことなんですけど、

「ポン酢しょうゆがあること・・・」

ではなくてですね。
古いですよね。スイマセン。流して下さい。

えっと、結局、
無条件な自分を愛しているかどうか?
なんじゃなかろうか?

と思ったりもするんですよね。

誰かに愛されるような自分になろうとすること、
ひとかどの人物になろうとすること。

とかね。
他の何かや外の何かに自分の価値を求めるとかね、

そんなこと以前に、まず
あなた自身が自分を無条件に愛してあげること。

これが幸せの在処やなかろうか?
なーんて思うわけです。

そして、自分自身が本当に求めていたことも、
自分に愛されることだったりするのかもしれません。

それが足りないので、それを自分の外に求めて、
あれやこれやを掴もうとしている。

確かな何かを掴み取ろうとする。

そうやって、確かな何かを探し求めてしまうのかもしれません。

誰かに認められると、
悟りとかそういった何かを得ると、
誰かに愛されると、
もしかしたら自分も自分のことを愛せるようになるのかもしれない。
みたいなね。

そんな条件探しをしてるのかもしれません。

でも、条件も理由も必要ないんです。

居てるだけで、
なーんにも持ってない裸の状態で、
もう1000%愛される存在であるのが
あなた自身なんですよね。

あなたが何かしら、崇高な愛とかを求めているのなら、
それがあなたの中にあるから求めてるわけです。

中になかったら、求めようとするはずがないんですよねん。

だって、知らないわけですから。

知ってるから求めているわけで、
じゃあなんで自分の中にあるものに気づかないのか?
といいますと、
気づかないというよりは、
自分の中には在るはずがない!
っていう、自己否定なイメージが単にイメージとして、
作り話として、あるだけなんですよ。

話のトーンが急に変わりますが、
「先(ま)ず隗(かい)より始めよ」
っていう故事があります。

どういう故事かといいますとね。
とある王様が、優秀な人材を集めるにはどうすりゃいいかいねー?
って、そばにいた郭隗(かくかい)っていうおっさんに聞いたらしいんですよ。
そしたら、そのおっさんが、
「じゃあまず僕を厚遇したらええねんで!」
って言ったらしくて、
王様はおっさんに、大金をあげたり、宮殿をたててあげたりしたらしいんですわ。

すると、あんなおっさんでも待遇が良いなら!ということで、各国から優秀な人材が集まりましたとさ。

っていう話なんです。

というわけでね。

まずは自分を、
そのまんまの自分をめいっぱい認めてあげる。
褒めてあげる。
愛してあげる。

しかも無条件で。

するともう、悟りもクソも必要なくって、
そもそも必要なモノなんてどこにもなかったんやん!

ってなことが、明らかになるかもしれません。

するともう、探す必要性もなくなり、探求は意味を失うんです。

意味が最初っからなかったってことも明らかになるかもしれません。

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