Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

こわーいエンマ大王ちゃん!

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六道輪廻。
なんて言葉がありますよね。

地獄界
餓鬼界
畜生界
修羅界
人間界
天上界

っていうやつです。

そんな6つの世界があって、
生まれ変わりを繰り返しながらこの6つの世界を行ったり来たりする。
みたいな話やったかと思うんですけど、

この辺の詳しいことはよくわかりませんけど、
僕はこの6つの世界ってぜ~んぶ人の中にある物語の話であって、
この6つのいずれも現世の話やと思うんです。

っていうか、あの世も現世も、そういうのもないんですけどね。

無いからには、観念上で起こってると思ってる世界を6つに分けてるだけって話で、
その6つを行ったり来たりしてる様子を輪廻って言う風に表現されてるんやろなー。
なんて思ってます。

でね。
エンマ大王さんっておるやないですか。
「よし!お前は天国行きー。」
とか
「あっかーん!お前は地獄行きジャー!」

とか判断しはる怖いおっさんなんですけど、

もしかしたらねー。
このこわいエンマ大王のおっさんって「自分の判断、観念」のようなものなんとちゃうやろか?
なんておもうんですよね。

天国も地獄もぜ~んぶ、今、目の前に広がる観念の世界のことなわけであって、
自分の判断、観念がその世界の有り様を判断してるって言う感じでね。

そして、このエンマちゃんの判断、観念に従う限りはあらゆる世界をぐるぐると回り続けなきゃならん!
っていうね。

なんかそんな風に思うんですよね。

もしエンマちゃんに、
「お前は地獄行きジャー!」

なんて言われたら、

「おまえ、、、わし(自分)やろ?」

って言うたったら、

「ありゃ???ばれちゃった!」

ってなもんで、スーッと
嘘がバレた恥ずかしさとともにいなくなってしまうんやないかなぁ?

って思います。

エンマちゃんってね、
実は自分の奥にある、自分が一番恐れているもの。
怖いから、なんとか自分をより良くすることで機嫌を取ろうとして、
それでも、何が起こるかわからないからめっちゃ怖くて、
そしてめっちゃ怖いけど、なんとか
「より良くなりますように・・・」
とすがりたくもなる。

そんな恐怖感の象徴やったりして、
なーんて思うわけです。

で、そんな怖いエンマちゃんがじつは、自分やったって言うことが
明らかになっちゃったとき、

な~にを恐れておったんや!

っていうね。一人芝居に笑い転げるんですけどね。

エンマちゃんの観念と判断から起こるあらゆる世界も、
物語の世界やったと明らかになり、
輪廻っていうのも、最初っからなくて、ただそういうのが在ると見なしていただけ
っていうねー。

在るでも無いでもどちらでもなければ、

じっさいに在るわけであり、それでいて同時に無い。
っていう一見言葉では矛盾する、
その当たり前な「そのまんま」も明らかになるんですよねん。

ただねー。
そのエンマちゃんを見てあげればそのエンマちゃんが観念やったんやって分かるんですけど、
そうするには、エンマちゃんと対峙してみなきゃならないわけでねー。

ウソさを見るためにはまずそのウソさに対峙してみないと始まらないっていうねー。

それが、もうめっちゃ怖いんですよね。何故か。
自分の中のイメージですし、ただ見るだけですから怖い理由はないんですけどね。
でも、めっちゃ怖いんです。

怖いから見たくもないと同時にどこかでその怖さの観念にコントロールされちゃったりしてるんです。

この怖さって、死の恐怖やったりするんですよね。

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