Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

心とか気分って天気のようなもんで、実際天気と連動したりもするらしい。

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心とか気分って天気のようなもんでねー。
人によっては、気圧の変化とか、気温の変化があったりしても、
気分が落ち込んだりとかね。
そういうこともあるそうなんですよ。

気分も天気も「気」って言葉を使うので、
同じようなものなのかもしれませんね。

でね。
気分が落ちると嫌じゃないですか?
だからね。
そういった落ち込んだ気分をなんとかしようと
いろんな方法もあったりすると思うんですけどね。

それはそれでいいと思うんです。

いろいろな方法もうまくいったりうまくいかなかったりすると思うんですけどね。
合う方法があるなら、そういったことをやればいいと思うんですけどね。

でね。
その気分や心がねー。
自分という観念とうまいこと絡み合ったりするとね。
「自分が」落ち込んじゃったりしてるってね。
感じたりもするわけなんです。

するとねー。
自分はちゃんとしておかなきゃならん!
みたいな意識も働いちゃったりするんですよね。

天気のように変わる気分と、同時に、
自分はちゃんとしておかなきゃならん!
とか
自分は損なわれてはいけない!
みたいな観念が一緒に絡み合ってたりすると、
余計にしんどくなったりするんですよね。

例えば、何かに失敗した時に、
「自分はちゃんとしてなきゃ!」と言った観念が
失敗した自分を自分でさばいたりしてね。

罪悪感みたいなものを生み出しちゃったりするわけなんですよね。

そんな時に、気分が雨模様だったりすると、相乗効果的に落ち込んだりして、
余計に自分を責めちゃったりすることもあると思うんですよ。

真面目な人ほど、自分に厳しかったりしてね。
余計に罪悪感みたいなものを抱えちゃったり、
嫌な記憶がずっと自分を責めちゃったりしてねー。

そうなると、そういった心や記憶を奥に押し込めちゃったりするんですよね。
あくまでも観念上でそうするわけなんですけど、

そうすると、嫌な心の感覚は残ってるけど、
具体的な記憶は押し込められて忘れられたりしてね。

まあ、そういうわけで、ダラダラと書いてしも〜て、
何をややこしいことを言っとるねん。
ってことなんですけど、何が言いたいのか?
と言いますとね。

「自分のこと、好きですか?」
「自分のこと好きでいてあげられてます?」
ってことなんです。

自分のことがどこか好きになれてない部分があるんだとしたら、

どっかで裁きみたいなもんが、あるのかもしれないんですよ。
不必要な裁きがね。

でね。

そういった裁きをしているんだとしたら、
その裁きによって生じた受け入れられない「あか〜ん!」っていう観念が、
出てくるわけですが、そういった観念があってはいかんわけですので、
それを奥の方にしまいこんだりするんですよねー。

そのしまい込もうとするときに、摩擦みたいなもんが起こるんですね。
実際にものとものが擦れるわけじゃないんですけど、
どっかで無理をしてるっていう無理が生じるんです。

あるものを無理やり無いものにしようとする動きですね。

その無理がしんどさを感じさせるわけなんです。
でもって、この摩擦でしんどくなってたりするのと、
おまけに天気のような気分でのしんどいさが、うまいこと、絡まりあったりすると、
しんどさがブワーって出てきたりして、余計にしんどくなってしまう。

っていうねー。
そういうこともあると思うんですよね。

でも、もしかしたら、無意味な裁きをしているのかもしれない。
とか、
気分は天気のようなものであって、それが自分に起こってるのじゃなく、
単に、体の調子と同じように、心の調子、心の都合ってのもあるのかもしれない。

ってねー。

そんな視点でもって見てみるのもいいと思うんですよね。

ぶっちゃけ、体も心も同じものなんですよね。
単にイメージ上で体の機能とかの部分と、目に見えない心の部分って分けて認識されてたりすると思うんですけど、
同じもんなんです。

だから、調子が良かったり悪かったりするものなんですよね。

で、体も心も自分がコントロールしてるわけじゃありませんので、
うまくコントロールできない自分を責めるってのもお門違いだったりするんです。

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