Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

世界に初めてツッコミ入れてみたとき

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僕がね、初めてこの世界って、もしかしたら幻想?
幻想とは言わないまでも、ちょっウソっぽい?
って感じたのは小学生の頃やったんですけどね。

この話は以前にも書いたかも知れませんけど、
蛾の擬態(ぎたい)かなんかの説明を聞いたときです。

ある種の蛾は羽を広げた時の模様がフクロウのようになってて、
蛾を食べる小動物なんかはフクロウと間違えて蛾を襲わなくなる。

みたいな紹介だったと思います。

その時に思ったのはね、

「うわぁぁぁ、神さま、作りがあらいわぁ、、、。」

っていう事でした。

イヤイヤイヤ。
ムリムリ。

それやったら、蛾はフクロウの事も、それを食べる小動物の事もあらかじめ知ってて、
フクロウの絵を羽に描いて生まれてくるなんて、、、。
生まれる前に打ち合わせしてきてるって事やん。

あの世のことって、もうちょっとオブラートに包むというか、
そんなに簡単にバレないようにせなあかんやん。

にしてはこの設定は、ちょっと強引というか、適当というか、、、。
ちょっと作りが雑なんとちゃうのん?神よ!

ってねー。
思ったもんです。

それから気になって、世界の作りのあらい部分探しなんかをしてた事もあったりしたんですけどね。
大量の魚が、一緒の動きをしたり、
食べたものが体になるんやったら、みんな食べるもの違うのになんで、手足や身体の作りは似通ってるねん!
とかねー。

でも大人に聞いても、自然の神秘だねー。でかたづけられたりして、
誰も作りがあらい!ってことに文句を言わないもんですから、
そのうち、そんなもんか。って、なってきたんですけどねー。

でも、どこかで
世界はウソくさいぞ。。。

みたいな思いが残っていて、それが大人になってから、
探求をしていくことにつながったのかも知れません。

■■■

結局のところ、世界をウソ臭くしてたのは僕らの方だったわけなんですね。

そもそもは何の意味も理由もない、そして分離もないそれそのもの。
そこに分離の観念を当て込んで、

意味も何もないもんに対して、説明をムリくりつけるから、
その説明のウラ面も出てきてしまってただけっていう事やったんです。

どんなに概念を作って説明を尽くしても、どこかに「それそのもの」の真実みたいなもんが顔を出してるんです。
説明では隠しきれてないって感じですね。

大量の魚が一斉に息を合わせて動き出す。
みたいな一体性として隠しきれずに現れてたりね。

作りが荒かったのは、何の説明も必要のない世界に説明をつけたヒトの方だったんです。

その世界のウソさが明らかになるとき、ありとあらゆる説明や概念、観念から自由になり、何の意味付けも説明も必要のない「それそのもの」が残るんです。

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