どれが「これ」なんだろう?
どうにも「これ」にうまくいられない。
あるときは、本当に「これ」しかない。
ホントに一人相撲してただけなんだー!
って思えていたのに、、、
今はもうその時の感覚は何処へやら?
すっかり元の木阿弥になっちゃって。
どこからどこまでが「これ」でどれが「これ」ではないんだろう?
いないのは行為者だけだというけど、どうしたらこの行為者って感覚が消えるんだろう?
この辺のことって多分みんなの本音のところなんじゃないかなーって思うんですよね。
行為者はいなくて、ワタシっていうのもいないんですよ!
って言われても、
あなたが思ってるワタシって、身体とか心だと思うんですけど、
そういったパーソナリティーが消えるんじゃなくて、
その行為者がいないだけなんですよ。
というのがホントのところなんですけど、
なるほど、確かに、、、とは思うけど、
どうにもこの行為者って感覚は消えないんですけど、、、
って思いませんか?
それでも、もしかしたらその感覚がない世界があるのかもしれない!
って、ブログを読み漁ったり、トークセミナーに通ってみたり、
本をむさぼり読み漁ったりしてみたけれど、
それを読んでる間だけは、話を聞いている間だけは、
なんかわかったような軽い気持ちになったりもしたけれど、
日常に戻ってみると、またその日常に飲み込まれて、、、
飲み込まれては、そういった世界の話を聞いては離れた気になって、
また戻って、、、
いい加減、そういうのにも疲れてきたんですけど!!
って思いません?
せやからね。
こういうことを商売としてる人はもしかしたら言いたくても言いにくいことのかもしれないですけどね。
そういう本とかを読んで何かを知ろうと思ったり、
セミナーとかにいって話を聞くこととかね。
そんなん意味ないんですよ。
そういうことに何かしらの意味があるのではないか?
っていうね。
この観念があるわけで、
つかみ取れる何かがあるっていう誤解が起こってるんですよね。
あーゆうのは、意味がないのを知りながら楽しむためにあるわけでね。
何かの意味をつかもうとするもんじゃないんですよね。
じゃあどうすればいいんのか?
ってことなんですけどね、
どうすればいいのか?っていうことを考える前にね、
なんで、どうにかしたいのか?ってことを見てみたらいいんです。
「これ」をしりたい!
悟りたい!
って思ってる部分。
ここをみてみたらいいんですよね。
でね。
この部分が「これ」を邪魔しとるんです。
もしかしたら、この部分が何かから逃げたいという思いかもしれませんし、
この部分が強烈な好奇心かもしれません。
好奇心のうらには大きな何かを知りたい、知って何者かになりたいってのがあるのかもしれません。
理由は様々かもしれませんが、いずれも探求のエネルギーだということには変わりないんですよね。
でもって、それを探し求めるから見つからないわけで、
探し求めることがなくなったら、最初っからあるわけなんです。