Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

足るを知るの意味について

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足るを知るってのはね。

「あんた!贅沢言わんと、今あるものでも十分でしょ!
良い加減にしなさい!」

みたいなね。

どちらかと言うと、我慢しなさーい!
みたいなニュアンスではなくてですね、

本来はもう満ち足りている。
それを知る。

っていうニュアンスなんじゃないのかな?って思うんです。

なぜ、足りない、足りてないという観念があるのか?

もちろんのことながら、「足りない」と思っていると言うことは、
ありのまんまの現実に何かしらの足りない部分があるという事ですよね。

つまり、ありのままじゃダメだという思いがあるわけなんです。

そして、
足りないと言うからには、その主体である自分という概念も必要ですので、
そこには自分っていう思いが元にあるということになります。

自分っていう思いは、自分と自分以外に分けられます。
自分の内と自分以外の外に分離していて、
その自分の中に足りない部分を自分の外に求めるんですよね。

面白いことに、自分の中でそれをやるんです。
ここで観念上の分離があるから、この分離が足りないという思いを作り出すんですね。

でも、自分の内と自分の外ってのは、
あくまでもイメージとしてあるわけで、
その外も内も同じイメージとして観念上あるように見えているわけなんですが、

それを自分の内と外に分けている。
この分けているってのも一つの観念なんです。

じゃあ、あるのは観念っていう思い込みだけなんですよね。

そしてその思い込みってのも実体はなく、なんかあるように感じているだけであってね。
そういう実体はないけどあるように感じる何かが起こってるだけなんです。

これって、エネルギー的なもんなんですよね。
実体ってのはないわけですから。

このエネルギーってのが分離から生じるエネルギーなんです。

探求のエネルギーってやつです。

分離することによって、失われた片われを探し求めるんです。
しかも、自分の中で、内と外に分けられたその内側が、
外側に内側にないものを探し求めるんです。

もともと一個なのに。

この、もともと一個なんやん!
ってことを知るのが、
足るを知るって言うことなんです。

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