おはようございます。タクさんです。
あらゆる体験が誤解を生んじゃう。
とりわけワンネスの体験とか空の体験というのは、
その体験から得た感覚が妙にリアルであるのと、つじつまがピタッとあっちゃうということでおこる誤解の話を書いています。
ちなみに、これはあくまでも僕個人の体験であって、一般論でもなければ、他の人もそういったことがあるということでもありません。
ただ、似た感じの人とか、スピや非二元の話で個々人が表現する微妙な差に、どうにも納得いかない。と思っている人の中にはもしかしたら、なるほど!って部分があるかもしれないということで書いてみたいと思っとる次第でございます。
昨日や一昨日の記事とか読んでない方がおられましたら、
先にそっちを読んでいただければ幸いでございます。
では、体験を通して得られる認識が、
妙に非二元とかスピ系の話とつじつまがあっちゃうっていう話の続きから書いてみたいと思います。
例えばね。
私はいないとか全てはそれである。
みたいな言葉もね。
つじつまが合うんですよね。
うんうん。だって全部が私であって、それでいて境界線がないからねー。
全てが私だよねー。
ってなりますし、
それでいて、とても表現しづらいので、「それ」って言ってるんだねー。
って理解しちゃいますし、
全ては幻想です。とかいう言葉もね。
うんうん。今まで現実だと思っていた世界って幻想だよねー。
本当は体も時間もなく、今があるだけ。
っていうのも、
この体験に合致するんですね。
それどころか、スピ系で言われてる話も、
つじつまが合うわけですからね。
そりゃー、勘違いするのも無理はないですわ~。
って思うわけなんですよ。
完全に体験と合致しますからね。
言葉の方がね。
あるがままのそれの言葉も、
体験で得たことを表現した言葉も、
同じになるんです。
それどころかね。
どんどんとピュアなインスピレーションになるって話を書いたじゃないですか。
ここをね、もっと探求していくと、最終的には完全な純粋に近づくんじゃないか?
なんて思ったわけなんですよね。
悟りとかは、単なるスタートでしかなくて、
ここから、更なるピュアなそれに近づく入り口なんじゃないかどうか?
なんて思ったわけなんです。
そして、本格的な悟りというのは、この状態を定着させていけばいいんじゃないだろうか?
なーんて思ったりもしたんですよねー。
じゃあ、この体験はどうすればまた起こるのか?
とか、自分が見たのはどの程度の次元?なのか??
とか、
もうそんなことばっかり気になったりしたんですよね。
で、自分よりももっと知ってそうな人に、どうすればこの次元をアップできるのか?
を教えて欲しくなるんですねー。
あとはね。
いわゆる現実。
お金とか社会のこととかそういうの。
それは幻想なんじゃーん。ってことでねー。
なんていうか興味がなくなっていったりもしたんです。
それは幻想であって、本当はあっちの世界である。
人は死なないし、感情や思いは判断のフィルターを通さなければ、
とっても心地の良いワクワクそのものである。
って感じですね。
はたまた、
大元の感情は身体とは別にあるのを見たもんですから、感情の動きを感じようとしたりもするんです。
でね、面白いことに、こういったピュアな感情が誰かのフィルターを通ると、
途端に濁ったりするんですね。
で、濁った感情が吐き出されると、それをほかの人がキャッチして、
さらに濁っていく。。。
そんな感覚を見たりもしてたんです。
自分自身も感情を濁らせることもあったし、他から来る濁った感情に飲み込まれたりする。
みたいな感覚もリアルに感じられたりするんですよね。
ほら、よく波動が低いだとか、高いだとか言うじゃないですか。
そんな感じの感覚です。
するとね。
自分自身で濁らせてしまう部分については、なんとか浄化しようとするんです。
でもって、他から来る濁った感情には飲み込まれないように工夫をする。
これをどうすれば上手く出来るんかいなー。みたいな探求も深まったりしてね。
ちょっとした浄化オタクになったりもしてたんですよね。
例えば伝授とかいってね。何かしらを伝授という行為の儀式みたいなもんがあったりもするんですけど、
「あ!これ、伝授とか言いながら、自分のエゴをこすりつけとるやん!」
みたいなもんが見えたりしてねー。
こんな風にして、感情というかエゴ的なものをこすりつけて、師匠と弟子ってできていくのねー。
みたいなね。
そういった影響下にある人が、なんか同じような霊的な体験をすると益々その師匠のおかげやったんや!みたいな思いを強くする。ってなこともあるんやねー。
てなことを観察してみたりもして、、、
これはねー。外の何かに依存すればするほど余計にハマるって感じですね。
もし、何かしらの方法で体験をしたとしてもすぐに忘れろって言われるのは理にかなっとるなー。なんて感想を抱いたりもしてました。
それでいて、元の感情は素晴らしくピュアそのものだということは知ってるので、
浄化オタクでありながら、色々あっても、それはそれで、オッケーやね~。っていうね。
「それでも全てはそれでオッケーなんですー。」
みたいな表現には同意も出来るってわけです。
ここでも辻褄が合っちゃうわけなんですよねー。
そんな感じで、感覚がもっともっと鋭くなったわー!
なんて、探求を突き詰めてみたりもしてたりしてたわけです。
でもね。
なんかしんどいんですよ。
特に現実はいつもどおりに現実としてあるわけなんで、それが幻想だとわかってりゃ、わかってるほどしんどいっていうかね。
この重たさはなんなんだろう?ってね。
ピュアな感覚の中にいる間はとってもいい感じなので、
この落差分だけしんどい感じなもんですから、益々、ある種の状態にい続けることにこだわる。
みたいなね。そんな感じになったりもしたんですねー。
でね、このあたりからなんか違う感覚の体験があったりしたんです。
というわけで、長くなったのでまだつづきますよー。
また明日ネーン。
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