Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

心の荷物を降ろす時

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おはようございます。
タクさんです。

今に完全にある時ってね、もうリラックスしかないんですよ。
そのリラックスさはなぜやってくるのか?と言いますと、
抱えてた心の荷物が降ろされるからなんです。

心の荷物ってね。今にあると降ろされるんです。
今にない時だけ荷物を抱えてるんです。

これ、ちょっとおかしい話なんですけどね。
僕らって、どこまでいっても「今」から逃れられないじゃないですか。

タイムマシーンがあったとして、過去に行ったとしても、
行った時点で、その過去は今なんですよね。

昔話をしてようが、明日の予定を立ててようが、今です。

僕らって、時間を意識しているときは、過去から今、そして未来へ。。。
といったような流れを概念で持ち込んでたりします。

 

なんでこんな概念を持ってるねん??
と言いますと、

全てはエネルギーですので、動いてるわけです。
止まってるものはこの世には存在しないんですよねー。
つまりは、全ては波動だとも言えます。

もちろん止まってるように見えるものもありますけどね。
「ハシビロコウ」みたいに。

ま、それでもよくよく見たら、「ハシビロコウ」も動いてるわけでして、
全ては常に変化をしているわけです。

でね。動いてるものを捉えようとする時には、どうしても時間という概念が必要になってくるんですよね。

なので、時間というのは、頭で何かをとらえようとしする時に概念上必要なわけです。

また、僕らは頭の中で捉えるときは、脳内でストーリーを展開させます。
ストーリーにも、もちろん時間の概念が必要なので、僕らは何かを捉えるとき、
意識的にしろ、無意識的にしろ、時間の概念がセットになってるんですよ。

そして、時間の概念を採用している限り、「今」って捕まえられないんですよね。
だって、「今」って瞬間じゃないですか。概念上ではね。
だから捕まえられないんです。

そしてね。僕らの未来も実は過去の経験の類推しかできませんからねー。
未来のことを考えてるつもりでも、過去を見てることになるんですよねー。
つまり、ずっと過去を掴んでることになります。

でね。
今は、あらゆるものが起こっては去っていきます。
僕らは過去を参照して起こってることを分かった気になっていますが、
実は、今は、完全な未知なるものなんです。
あるのは、未知だけなんです。

未知を掴み取るには、分からなきゃならないので、もうそこで、
今はかき消されるんですよね。

なぜなら、今とは未知であるのに、それを既知にしちゃうことで、
今を見失うんです。

つまり、時間の概念を採用した瞬間、目の前の今は見逃され、過去を参照し続けるということになります。
そして、過去を参照することで、今にある「未知」も見逃されるというわけですね。

未知の中には重みはありません。重みは過去の記憶の反すうによって起こるわけです。

っていうか、心の重たさって言ってますが、別に心は重量を持ってるわけじゃありませんのでね。
実際の荷物があるわけじゃないんですよ。

心の荷物というのは、単なる比喩に過ぎないんですが、
比喩とわかっていながらも、やっぱり重さを感じたりしますよねぇ。感覚として。

これね。
何かと言いますと、

この重みは、想念によって起こる緊張感なんです。

この想念のストーリーに沿って、体が反応し、疑似体験をするわけです。
この体の反応が、緊張を起こすんです。

例えばね。
レモンを思い浮かべると、唾が出てくるじゃないですか。
そんな感じで、
不安を感じると、僕らの体は、自然に反応し、恐怖の緊張感を体に生じさせるんです。

心の荷物ってね。その緊張を重さとして感じてるんですよねー。
そりゃねぇ。。。
シンドイですよね。

恐怖の疑似体験を反すうしてるようなもんですからね。

ま、そんなわけで、
僕らは、「今」の中で過去に生きるとき、荷物を抱え込むんです。

必要のない、「過去や未来というイメージ」を、「今」に持ち込んじゃってるんです。

「今」は今のことだけを受け持てばいいんですよね。
過去や未来の荷物を今に持ち込む必要はないんです。
そんなの、無いものですからねー。

すると驚くほどに軽くなります。
だって、今には重さはありませんからねん。

「今」にあればあるほど、心は軽くなり、
「今」以外に背負わなきゃならない荷物なんて無いってことをね、
知れば知るほど、軽くなっちゃいます。

その軽さを許し、受け入れてあげればいいんです。

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