ほーい。
おはようございます。
タクさんです。
まー僕らが悩んだりすることって、
未来のことですし、
後悔することっていうのは、
過去のことですよねー。
つまり、今じゃないことによって僕らは悩むというわけです。
ですが、どこまで行っても、僕らの目の前にあるのは今だけです。
なのでその今にあれば、悩みというのは生じないということにもなるんです。
でも、今にあるってどうすればいいのかー。
ってねー。
思ったりする方もおられるかもしれません。
今にあるにはどうすればいいのか?
うん。
これねー。
まず、どうすればいいのか?の「どう」という部分。
これは、どう考えればいいのか?
どの立ち位置に立てばいいのか?
みたいなことなんだと思うんですよね。
でね。
どう考えればいいのか?
という部分については、考えというのは必ず、過去の記憶を参照しないことには考えられません。
記憶情報のないものをイメージすることってできないんですよね。
うどんを食べたことがないのに、うどんの味をイメージしろといっても無理な話で、
その場合は、そばよりももう少し麺がもっちりしていて、麺自体もそばに比べると太くて、
とそばという過去の経験を使って想像することくらいしかできませんからね。
そして、今にあろうとすること。
これは記憶という「過去」を参照しないということ。
でもありますので、考えで今を理解するのは不可能なんです。
それよりはどの立ち位置に立てばいいのか?
の方が、あり方をイメージしやすいかもしれません。
今の立ち位置。
それは過去でも未来でもない今にあるということです。
そして、思考は過去や未来を参照することですので、
思考自体を立ち位置にすると、今にはあれません。
でも、思考のイメージに気づいているという立ち位置。
これはまさに今です。
思考の内容を追うのではなく、思考が起こってることに気づいているということ。
ここが今なんですよね。
そして、過去や未来というのは、単に起こってる思考の中にしかないイメージなんです。
イメージとはつまり妄想、幻想のようなものなんです。
未来のこともまた、妄想の域を出ないんですよね。
にもかかわらず僕らは将来を悩むわけです。。
なぜなら、「わからない」ことというのはリスクであり、思考はリスクを嫌うからなんですよね。
ちなみに真実というものは、あらゆる妄想を取り払った後に残るものです。
リスクを嫌う思考は、リスクがあることについて悩みます。
ですが、思考ではとらえきれないもの。それが今であり、真実であるのだとすると、
思考からすると真実はリスクそのものでもあるんです。
なので、思考が真実に在ることを否定するんですよねー。
どう考えてもわからないし、わからないままにあることを思考は否定しますので、
どこまで行ってもよくわからないのは、当然なんですよねー。
思考的に真実に在るというのは受け入れがたいものになっているんです。
なのでね。
思考ってそういうもんだよねー。
ってね。
お気楽に眺めてあげること。
これが、気づきの立ち位置です。
気づきの立ち位置にあってみると、立ち位置自体も消え失せていきます。
立ち位置が全体に溶け出すんです。
立ち位置という概念もまた、思考の中の住人だったんですよねー。
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