Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

感謝の踏み絵と罪悪感

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おっはようございます。
タクさんです。

よくねぇ。
感謝しなきゃダメだ。
だとか、
あなたが感謝してる人は誰ですか?
とかねー。

そういうことを言われたり聞かれたりする場面があったりしません??
特に仕事関連で、んなこと聞かれたり、言われたりすることってあると思うんですよ。

お客さんへの感謝をもっておるのかー!!
みたいなね。

妙に感謝の踏み絵を踏ませようとするのも、
これまたパワハラみたいなもんとちゃうんかい!
って思ったりもします。

感謝くらい、自分の気分で出したり出さなかったりするわい!
って事ですのでねー。

 

親への感謝についてもそうかもしれませんね。
したい人はすれば良いし、したくない人はしなくたって良いわけです。

感謝の踏み絵を踏ませようとして、感謝できないという思いに罪悪感を植え付られる。
みたいなね。
そんな罪悪感はほって置いたら良いんですよ。

そもそも、感謝っていうものはしようとしてするもんじゃないですのでね。
ほっといても出てくるもんですので。

出てこないことに関して罪悪感をもつなんてことは一切必要ありません。
それは、
今日の天気が晴れてないのは、俺のせいだ!!!

みたいに悩んでるようなものですのでねー。

ここでもよく、自分を可愛がってあげてねー。
なんて、書いてたりする訳なんですが、
それは、「妙な判断に自分を閉じ込めないであげてよね。」
っていうことでもあります。

天気は雨が降る時に降りますし、晴れる時に晴れます。
ありとあらゆる理由を後付けすることはできますが、
雨は降るべき時に降ってるんです。

そのことに対して、妙な責任感を持っちゃうのって変じゃないですか。

それと似たようなことをやって、自分を責任感という檻に閉じ込めて、
罪悪感っていうムチを振っているなんてことがあるんですよねー。
知らず知らずにね。

私はひとりだから幸せじゃない。
とか、
私は仕事ができなくてダメだから。。。
とかねー。

そんな判断基準は、晴れてないのは私のせいなのだわ!
って言ってるのと同じですのでねー。

あなたはすでに完璧です。
あなたはすでに愛そのものです。

もし、
そうは感じられない。
やっぱり私はダメだとどこかで思っている。

そんな思いがあるのだとしたら、
それは不必要な檻に自分を閉じ込めてるっていうことでもあるんです。

なので、
なにか妙な判断基準の中に自分を押し込めておりゃせんか?
ってことを確かめて見たら良いと思うんです。

逆に
わしは最高や!アイツはダメだ!
なーんて思ってる場合もまた、なにかの観念に閉じこもっちゃってるパターンなんですけどね。

比較の観念に振り回されてるってことは、何かの制限の中に閉じ込めてることになりますので、、、。

それって、もったいないよねー。
ということなんですねん。

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