Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

拠り所がない虚しさ

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な~んもない中で、何かしらの中心点を設けようとしますとね。
そこにフラッグを立てなきゃならないわけです。

ここが中心点よ!
っていう印ですね。

それがあってはじめて中心点が成り立ちます。

このフラッグがね。
拠り所となるわけです。

この拠り所とするものは時と場合によって色々と変わってたりするんでしょうけどねー。

でも、拠り所なし!っていうのは慣れてない場合もあると思うんですよね。

 

例えば、こういった非二元的な話についてね。

見抜きが起こったりして、
あ、この中心点のなさ、、、これがデフォやったんやん!
ってね、気付きがあったりして。

でもどこかでまだ、拠り所なしに慣れてなかったりしますとね。

どこを拠り所にしたら良いのかわからん!!

ってな感じになったりしちゃうこともあったりするんですよねー。

「ありゃ??わかったんだけど、全然楽しくない。。。」

みたいなね。

悟った自分。あの時わかった自分を拠り所にしようとしちゃったりね。
でも、それとはたんなる何にもなさですので、どうにもしようがなかったりしてねー。

そういうときって、妙な虚しさを感じたりするかもしれません。

普通に好きなフラッグを立てて、好きにやりゃ良いんですけどね。
どうしても、わかってしまった何かが邪魔をしちゃう。
みたいなね。

分かった何かを拠り所にしようとして、でもそれはなんにもなさですので、拠り所にならず、でもって、好きにやりゃあ良いんですけど、そうなると「分かった何か?」がその邪魔をする。
みたいなループにハマっちゃったりしてねー。

ま、わかったこととかにもそんなにこだわらんでも良いってことなんですけどね。

こういった話は、時に虚無主義的に捉えられたりすることもあったりするんですけど、
そういうことじゃないんですよねー。

そうじゃなくて、
拠り所に囚われなくてもええねんやん!

っていう自由の話なわけです。

とらわれないってことは、
拠り所があってもなくてもどっちでもいいってことなんですねー。

虚無っぽい思いが起こったとしたなら、
「あ、そういうのんが起こってるっぽい。。。」
「あらカワイイ。」

って軽く撫でてあげるくらいでいいと思います。

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