Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

意味がないと力が出ないの

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何者かになろうとすること。
それ自体は全然悪いことやないんですよね。

ビバ向上心!

ってことで、
それを楽しくやっとるなら万々歳な訳です。

ただねー。
ほら、僕らって子供の頃から、
テストの点が何点だとか、
成績はどうだとか。

宿題なっさーい!
とか、
遅刻やでー!

って、
もう常に向上心を強制され続けてきたやないですか。
それがまるで、水戸黄門の印籠のごとく、
向上心には誰も逆らえない!
みたいな強制力でねー。

向上するってのは、単に好きな音楽を聴くのと一緒で、
自分の気分がええなら、それを楽しめばええだけでして、
好きなゲームがあれば、それを遊べばいつしかゲームも上手くなり、
もっと楽しくなるっていうだけの話でして、
そもそも、楽しむものですので、
強制されるようなものでもないんですよねー。

 

まあ僕は今もですけど、子供の頃から筋金入りの怠け者でしたので、
成績は常に最悪でしたし、
学生時代はオレ時間で過ごしておりましたけどね。

それでも、やっぱり窮屈やなーとは感じてたりはしました。

うん。今日は二時間目からやな!
と思ったら、家でダラダラしつつ、よし行くか!となるまで家を出ませんでしたし、
宿題はまずやりませんでしたし、
そうなると、居残りしなさーい!ってなるんですけど、
逃げ帰ってました。

ランドセルもなし、持ち物は水槽に入ったカメだけ、
高学年になると手ぶらって感じでしたが、しょっちゅう怒られてはおりましたし、結構窮屈な毎日でしたねー。

とまあ、話はずれましたが、
そうやって刷り込まれ続けてきた向上心!みたいなものに支配されておりますと、
不必要な罪悪感を持ったりもしちゃうんですよねー。

あとは、なんか
全てのことに、それをやる意味を求めちゃったりね。

たのしーく生きたいのに、
楽しく生きるにはこうすべき!みたいな方法論を探しちゃったりして、、、。

意味に支配されちゃうんですよね。

で、大事にしすぎた意味を失うのが怖くなってきたり、
必死に自分が育てた意味を抱え込んじゃったり。。。

はたまた、無意味さを知って虚無感を感じちゃったりねー。

特に何かを犠牲にして、我慢してきた!
っていうような思いが強いと、
その見返りだった意味を手放しづらくなっちゃったりもしますよねー。

もちろんね。
意味づけするのは全然いいんですよ。

ただ、意味に支配されると、その支配力の分だけは、
どうしても不自由になるわけでしてね。

その不自由さをしんどく感じてるのに、
やっぱり意味だけは手放せない!!
ってなると、そこでぐるぐるとハマっちゃったりもするわけなんですよね。

はたまた、
何にもなさの自由を知ると同時に、虚無感に襲われたりもして。

よく聞く、一瞥体験をした後、進む方向がわからんっ!
ってなったりするのも、虚無感に襲われたりするのも、
やっぱりまだ、向上心の強制力がまだクセとして残っとるからかもしれません。

ただね。
これはどうにも表現方法が難しいんですが、
向上心が一切なくなるということを言ってるわけじゃないんですよね。
向上心の「強制力」の不必要さだけが明らかになるだけですので。

だから、無気力とは違いますし、
意味がないから何もできなくなるってことでもありません。

単に意味に支配される必要なんてないやーんってことなんです。

これが、深刻さがなくなってくるっていう事なんですよね。

とは言っても、一時的な深刻さは、ガンガンやってきます。
それらは起こっては消えていくわけなんです。

感覚としては、起こっては消えていき、思い出しては反芻する。
その反芻回数が減っていくって感じでしょうかねー。

ま、
意味がないなら、なんかやる気が出ないやんっ!
っていう感じをね。
どっかで感じたとしたら、

「なんで意味にわしが支配されなあかんねん!」
「オモロイかノリで十分なんじゃい!」

って突っ込んであげても良いのかなーって思うんです。

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