Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

いまここってどこ?どうやったら捉えられるの?

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安心は、いま、ここにあります。

でも、「いまここ」とは、どこなんでしょう?
どうすればそれを捉えることができるのでしょうか?

時間は止まることなく常に動いています。

いまっ!と意識した瞬間、そのいまは過去になってしまいます。
どうやっても流れる時間の中ではいまを捉えることは不可能です。

場所も常に動いています。

自分がここに止まっていると思っていても、地球はものすごい速さで動いているわけです。

じゃあ、地球から浮き上がって、宇宙空間にじっとしていてやったらどや!と思ったとしても
常に周りの星の配置は動き続けています。

なので、今ここを捉えることは不可能なんです。

人はどうやったって、今もここも捉えることはできないんです。

諸行無常とは全ては常に無ではない。という意味です。
無ではないとは、常に流動している。動いているわけなんですね。

さて、ではこの捉えられないいまここはどこにあるのか?
どうしたらいいのか?

ここで、ちょっと逆に考えてみましょう。

つまり、今でもなく、ここでもないものはどこにあるのか?

今でもなくここでもない。
つまり過去や未来。そして、常に流動している状態。

それらは全て、実は思考の中にあるんです。

何かを考えている時、認識している時、
その時だけ時間や場所が存在しています。

昨日のことや数時間前のことを考えている時、
時間のことを考えている時、
その時、意識は過去という概念を作り上げ、過去を考えます。
そして、その過去から予想された未来を思い浮かべます。

この考えが取り払われた時
この瞬間にいまが現れます。

場所を考える時は、何かの基準点が存在します。
あそこに行くには、ここを通ってああしてこうして、、、
もしくは、ここはどこだろう?
と地図を見て、確認したり。

そういった考えが抜け落ちた時、
ここが残ります。

そして、その考えがなけりゃ、日が昇り日が暮れようが、いまですし、
どこに行こうが、ここなんです。

僕らは、思考で考えて捉える世界に慣れ過ぎていて、
その中で世界を作ってしまいますが

思考があろうがなかろうが、世界は変わらずいま、ここに常にあったわけだし、
ずっとあるんです。

考えようが、考えまいが、あるわけですね。

さて、冒頭に
安心はいま、ここにある。
と書きまし他が、
安心じゃないというのは、考えのや感情の中にしかありません。
僕らが、考えたり、感じている時だけ、不安や恐怖があるんです。

それらは、全て来ては去っていきます。

そして、それらを考えたり感じたりしようが、しまいが、
常にいま、ここに安心があるんです。

安心の中で不安が来ては去り、恐怖は来ては去ります。
それらを掴み取った時だけ、不安や恐怖はそこにあり続けます。

考えている時だけ、過去や未来があるのと同様です。

そして何をどう考えようが、いまここは変わらずにありますし、
何をつかみ取っていようが、安心もここにいまあるんです。

考えてる自分というのがあります。
(※本当は考えだけがあり、自分が考えてると感じているだけなんですが…)
そこに気づいてみると良いかもしれません。

そして、考えには言葉がついてきています。
その言葉を止めてみるんです。

すると、感覚的な感情が残ります。

それをそのまんまにしてあげるんです。

考えがなくなると、過去と未来がなくなります。
こことかあそこといった相対的な場所の考えも消えます。

「いまここ」とは、その残ったものを表しますが、
これも言葉であえて表現したものに過ぎません。
本当はいまここもありません。
過去や未来、ここやあそこがなくなったと同時に、いまここもなくなります。
そこに残ったもの、それが最初っからあった安心であり自由なんです。

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